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建築家 エティエンヌ・ルイ・ブーレー を知ろう!ニュートン記念堂など

建築家 エティエンヌ・ルイ・ブーレーは、フランスのパリ出身の建築家です。壮大なスケールの図面が有名で、ニュートン記念堂などのアンビルドの建築の方が有名です。

本記事の内容

本記事では、建築家 エティエンヌ・ルイ・ブーレーの略歴、代表作、書籍を紹介したいと思います。建築家 エティエンヌ・ルイ・ブーレーは、フランスのパリ出身で、新古典主義を代表する建築家です。クロード・ニコラ・ルドゥーと共に「幻視の建築家」と呼ばれています。実現していない計画案の方が有名です。しかし、実際には住宅などの実作は多くあり、パリにも一つ残っています。機会があれば、実作もみに行ってみましょう。

目次

  1. 建築家 エティエンヌ・ルイ・ブーレーの略歴
  2. 建築家 エティエンヌ・ルイ・ブーレーの代表作 紹介
    • 1766 ホテル・アレクサンドル
    • 1784 ニュートン記念堂
    • 1785 王立図書館再建案
  3. 建築家 エティエンヌ・ルイ・ブーレーの書籍 紹介
  4. まとめ

1.建築家 エティエンヌ・ルイ・ブーレーの略歴

建築家 エティエンヌ・ルイ・ブーレーは、1728年にパリで生まれました。

フランスの新古典主義建築家であり、その建築は現代の建築家に大きな影響を与えています。

建築は、ジャック・フランソワ・ブロンデル、ジェルマン・ボフラン、ジャン・ローラン・ルジェイに師事し、17世紀と18世紀に主流であったフランス古典建築と、新古典主義を学びました。

エティエンヌ・ルイ・ブーレーは1762年にロイヤルアーキテクチャ・アカデミーに選出され、プロイセンのフレデリック2世のチーフ・アーキテクトになりました。

ブーレーは、1762年から1778年まで多くの住宅を設計しましたが、そのほとんどは存在していません。パリにあったホテル・ド・ブルノイは残念ながら1930年に解体され、現在はホテル・アレクサンドルが残っています。

あります。フランソワ・ラシーヌ・ド・モンヴィルのための彼の作品もまた消えたようですが、デザート・デ・レッツで見られるようなモンヴィル自身の建築作品への彼の影響力はそれ自体が物語っています。クロード・ニコラ・ルドゥと共に、ブーレーは新古典主義建築の最も影響力のある人物のひとりでした。

ブーレーの特徴的なスタイルは、幾何学的形状の援用です。1778年から1788年にかけて、エコール・ナショナル・デ・ポンエショセの教授として、古典主義に触発された独特の抽象的スタイルを生み出しました。 ブーレーは不要な装飾をすべて削除し、幾何学的形状を巨大なスケールに膨らませて、巨大な柱などの要素を繰り返えします。ブーレーのアイデアは同時代の人々に大きな影響を与えました。

彼の作品のいくつかは、20世紀の日の明かりを見ただけでした。ブーレーの著書 『Architecture、essai sur l’art』(「エッセイ・オブ・アート・オブ・アーキテクチャー」)は、新古典主義について論じており、1778年から1788年までの壮大なスケールの建築案が含まれています。

壮大なデザインから、ブーレーは巨大建築狂とも言われます。光と影の使用への非常に革新的なアイデアは、今日までの建築家に大きな影響を与え、また20世紀になってブーレーが再発見されたのちは、アルド・ロッシなどの建築家への影響も指摘されています。

ブーレーは、1799年に70歳で亡くなります。

2.建築家 エティエンヌ・ルイ・ブーレー代表作 紹介

1766 ホテル・アレクサンドル

ホテル・アレクサンドル(1763〜1766年)はパリにあり、パリで残っているブーレー設計の唯一の建築物です。 金融家のアンドレ・クロード・ニコラ・アレクサンドルのために建てられました。

壁面のくぼみに埋め込まれた4つのイオニア式の柱がエントランスを構築しています。そして、中庭の隅にある両開きの扉には、無地の開口部の上の壁に埋め込まれたアーチがあり、楕円形のブルズ・アイ・ウインドウ(円形の窓:通称牛の目窓といいう)には、新古典主義の方法の共通の特徴となった垂れ幕が掛けられています。

現在は、企業のオフィスとなっています。

1766 ホテル・アレクサンドル 建築家 エティエンヌ・ルイ・ブーレー
wikipedia

1784 ニュートン記念堂

アイザック・ニュートンの慰霊碑として、ブーレーはニュートン記念堂を計画しました。

ブーレーは、ボザール建築のトレーニングで不可欠な要素であった建築パーランテ(「話す建築」)と呼んだ教義を強く推進しました。そのブーレーのスタイルは、啓蒙思想の象徴となったイギリスのアイザック・ニュートンに対する慰霊碑の提案で最も顕著に現れています。

ニュートン記念堂は、高さ150 mの球体で、ギザの大ピラミッドよりも高く、何百本ものヒノキの木に囲まれた2つの大きな壁に囲まれていました。

1784 ニュートン記念堂 建築家 エティエンヌ・ルイ・ブーレー

この建物の巨大な球形の形状は、「体の理論」と呼ばれるブーレ自身の研究から発想を得ており、「最も美しく完璧な自然体は球体であり、ニュートン・メモリアルの最も顕著な要素」であると述べています。

この建造物は実現されませんでしたが、1784年にブーレーが描いた多くの計画案が建築家の間で広く流通していました。

ニュートンの小さな石棺は、球体の下の極に配置されています。記念碑のデザインは、昼と夜の効果を生み出すことを目的としています。

夜の効果は、石棺がアーチ型天井の穴から差し込む日光に照らされ、夜空の星のように見えるときに発生します。

1784 ニュートン記念堂 建築家 エティエンヌ・ルイ・ブーレー

昼間の効果は、神秘的な輝きを放つ中央にぶら下がっている球です。内部を光で照らすと、建物の内部の見え方が変化します。

1784 ニュートン記念堂 建築家 エティエンヌ・ルイ・ブーレー
実現せず

1785 王立図書館再建案

18世紀は体系的なカタログを作成する王立図書館が提案され、マザランの旧宮殿のリシュリュー通り新しい施設が作られました。1721年以降、一般市民も図書館に頻繁に訪れるようになり、特に哲学者たちの熱心な訪問を受けました。

プライベートコレクションの統合を通じて、コルベール図書館、バルーズ・コレクション、セバスチャン・ド・ブロサールの音楽コレクションだけでなく、東洋の写本の数も増え続けスペースの不足に直面していました。そこで、ルイ16世の下で新しい建設プロジェクトが提案されました。

その中でも最も知られているものに、1785年のブーレーの計画案があります。アーチ状の天井が続き、トップライトがあります。当時の建築技術では建設が極めて困難で実現には至りませんでした。

1785 王立図書館再建案 建築家 エティエンヌ・ルイ・ブーレー
実現せず

3.建築家 エティエンヌ・ルイ・ブーレーの書籍 紹介

Etienne-Louis Boullee (Collection Architectur)

エティエンヌ・ルイ・ブーレーの日本語の書籍は、雑誌に断片的な情報が載っていますが体系的なものは英語版しかありません。どれも絶版になっていますので、お手頃見つけたら是非購入しておきましょう!こちらは、ブーレー研究者による書籍で、建築の全体像を知るのに良いと思います。

4.まとめ

建築家 エティエンヌ・ルイ・ブーレーは、新古典主義建築を代表する建築家のひとりです。原始の建築家と呼ばれているので、私も最初は実作があるとは思いませんでした。しかし、調べてみると結構住宅などを実現しています。最近までパリには2つの実作が残っていましたが、1930年に一つ取り壊されてしまい、今はホテル・アレクサンドルが残っています。アクセスは良いので、現在は企業が入っていますが、外観は見られますので機会があれば行ってみましょう。

注意説明 公共建築以外の場所の特定は行っていません。個人の所有物である住宅は、場所の特定をしないように配慮しております。ご了承くださいませ。

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