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建築家 チャールズ・レニー・マッキントッシュを知ろう! グラスゴー美術学校 など

建築家 チャールズ・レニー・マッキントッシュ

建築家 チャールズ・レニー・マッキントッシュは、英国のグラスゴー出身の建築家です。マッキントッシュの椅子で知っている人も多いのではないでしょうか。

本記事の内容

本記事では、建築家チャールズ・レニー・マッキントッシュの略歴、代表作、書籍を紹介したいと思います。建築家チャールズ・レニー・マッキントッシュは、英国の近代を代表する建築家であり、家具デザイナー、画家です。19世紀後半の工業化時代を迎えて、世界の近代化を引っ張っていたイギリス(グラスゴーはその工場の中心の一つ)で、新しい時代のデザインと生活を目指していました。しかし、その視点の先にはまだ大衆はいませんでした。これは、イギリス社会という文化的な特徴も理解する必要があります。

目次

  1. 建築家 チャールズ・レニー・マッキントッシュの略歴
  2. 建築家 チャールズ・レニー・マッキントッシュの代表作 紹介
    • 1899 グラスゴー美術学校
    • 1903 ウィロー・ティールーム
    • 1904 ヒルハウス
  3. 建築家 チャールズ・レニー・マッキントッシュの書籍 紹介
  4. まとめ

1.建築家 チャールズ・レニー・マッキントッシュの略歴

建築家チャールズ・レニー・マッキントッシュは1868年にグラスゴーで生まれました。11人の兄弟姉妹です。マッキントッシュはグラスゴーの公立学校とアラングレンの教育機関に通い、グラスゴー美術学校に進学します。1892年にマッキントッシュはこのグラスゴー美術学校でマーガレット・マクドナルドに会い1900年に結婚します。マーガレットは生涯の仕事のパートナーでもありました。

1904年にマッキントッシュはハニーマン&ケッピー建築事務所の共同経営者となり、会社はハニーマン、ケッピー&マッキントッシュになりました。1913年に不況に陥ったのち、マッキントッシュは辞任し、自分自身の設計事務所を開きます。

マッキントッシュは生涯のほとんどをグラスゴーで過ごしています。この間に産業革命が急速に進行しますが、グラスゴーは世界で最も優れた重工業と造船の生産拠点でした。都市が成長し繁栄するにつれ、消費財と芸術に対して高い需要があり、それがマッキントッシュの仕事に結びつきます。

当時は工業化された大量生産品が人気を集めていました。またクライド川の造船所は日本の海軍と連携しており技術者の交流があったため、日本のデザインはより身近でした。当時は、日本の芸術は西洋のさまざまな芸術家によって絶え間なく流用され、複製されています。つまりジャポニスムの浸透です。

また機能的で実用的なデザインに関する新しい哲学いわゆる「モダニズム」がヨーロッパ全体で出現し、モダニズムのコンセプトは、革新的なアイデアと同時に新しいテクノロジーに依存していました。デザインは、歴史と伝統ではなく現在と未来に関係するもので、重い装飾と継承されたスタイルは破棄されました。

古い西洋様式では、家具は所有者の富を示す装飾品と見なされ、作品の価値は作成に費やされた時間の長さに従っていました。しかし日本の家具とデザインは、インテリアに落ち着きと有機的な感覚を呼び起こすことを意図していると解釈され、空間の質の向上に寄与したといいます。

マッキントッシュはこのムーブメントのパイオニアとして知られていますが、彼のデザインは実用品から遠く離れていました。彼の関心は、モダニズムの中心に人々のニーズ取り入れることでしたが、このときの「人々」は、大衆としてではなく(ル・コルビュジエが言うような「住むための機械」を必要とする人々)ではなく、芸術作品を必要とする個人でした。このことは彼のデザインを考える上で極めて重要です。

チャールズ・レニー・マッキントッシュは、建築に携わっている間に独自のスタイルを開発しましたが、それは直角と、繊細な曲線を持つ花にインスパイアされた装飾モチーフ(たとえば、マッキントッシュ・ローズ・モチーフ)の組み合わせです。このコントラストにより、伝統的なスコットランドの建築へ新たなモダニズムのデザインを普及させました。当然こうした視点の先には、「芸術作品を必要とする個人(芸術愛好家)」がいたのです。

例えば、国際的に知られるグラスゴー美術学校(1909)です。また、グラスゴーにあるクイーンズ・クロス・チャーチもこの流れです。

マッキントッシュの特徴は、フランク・ロイド・ライトがそうであるように建物の細部にわたる装飾や家具の詳細な仕様が含まれていました。妻のマーガレットは、こうしたマッキントッシュへのこだわりの図面化において多大な貢献をしていたといいます。マッキントッシュが建築設計に関わった期間は比較的短いものでしたが、その品質と世界的な影響力には驚かされます。

マッキントッシュは共同グループ「ザ・グラスゴー・フォー」を結成し、ウィーンのアールヌーボー運動に影響を与えたと言われます。またマッキントッシュは、インテリアデザイン、家具、テキスタイル、金属細工にも取り組み、多くの作品は妻との共同制作です。それにより、フローラルなスタイルとフォーマルな直線的なデザインが共存しています。

彼の主な建築(民家、商業ビル、内部改修および教会)は1895年から1906年という11年間の間でした。しかし母国のスコットランドではマッキントッシュの野心的なデザインはほとんど建設されていません。 1901年のグラスゴー国際展示会でも実現せず、1903年のリバプール大聖堂のデザインコンペでは、最終案にも残っていません。しかし、マッキントッシュは特にオーストリアとドイツで人気があり、1900年のウィーン分離派展に出品されたときに高く評価されました。

1923年には、マッキントッシュは建築とデザインを完全に捨て、水彩画に集中しています。彼の絵画の多くは、スペイン国境近くの小さな港であるポートヴァンドルとルシヨンの風景を描いています。その後夫婦は2年間フランスに留まり、その後、病気のために1927年にロンドンへの帰国しました。1928年に60歳で亡くなります。

チャールズ・レニー・マッキントッシュの建築はその後のモダニズムの中ではあまり評価をされませんでした。彼の建築家、アーティスト、デザイナーとしての再発見は、1990年にグラスゴーがヨーロッパ文化都市に指定されその中で彼の作品が大規模に紹介されたことによるものです。その後メトロポリタン美術館は、1996年から1997年までチャールズ・レニー・マッキントッシュの作品の大規模な回顧展を開催しました。こうして大衆にも知られ人気が出たことで、公益性が高まり、グラスゴーのウィローティールームなどの建物が改装され、一般に公開されました。

2.建築家 チャールズ・レニー・マッキントッシュ代表作 紹介

1899 グラスゴー美術学校

グラスゴー美術学校は、スコットランドのグラスゴーに拠点を置き、建築、美術、デザインの高等教育美術学校です。

学校はグラスゴー中心部のガーネットヒルにあり、最も有名な建物は、チャールズ・レニー・マッキントッシュによって1896年から1909年にかけて設計されました。 このマッキントッシュビルディングは、まもなく街の象徴的なランドマークのひとつとして長い間親しまれました。

建物は2014年5月に火災でひどく損傷し、2018年6月に2回目の火災で焼失しました。現在修復中です。

1903 ウィロー・ティールーム

ウィロー・ティールームは、スコットランドのグラスゴーにあるティールームで、1903年にャールズ・レニー・マッキントッシュによって設計されました。

この建物は、2014年から2018年の4年間でオリジナルのデザインにほぼ完全に復元されました。2018年7月には「マッキントッシュ・アット・ザ・ウィロー」という名前で再オープンしています。それは、The Willow Tearoomsの以前の運営者との商標紛争が続いているせいです。

マッキントッシュは、28歳であった1896年にグラスゴーの紅茶商人の娘のキャサリン・クランストンに出会いました。禁酒法運動が盛んであり、クランストンは「アート・ティールーム」のアイデアを思いつきます。1896年から1917年にかけて、彼はグラスゴーの4つの喫茶店に関わり妻のマーガレットと共同でデザインしました。

初期のティールーム(1896年:ブキャナン・ストリート)では、マッキントッシュは壁画のデザインを行いました。ティールーム自体は、ジョージ・ワシントン・ブラウンが設計しています。具体的には、マッキントッシュは、女性用ティールーム、ランチョンルーム、スモーカーズ・ギャラリーのために、バラに囲まれた細長い女性像の対を描いたステンシルフリーズをデザインしました。

1898年のアーガイル・ストリートのティールームでは、マッキントッシュが家具とインテリアをデザインして、ウォルトンが壁の壁画をデザインしました。ここで重要なのは、マッキントッシュの有名な高い背もたれある椅子が初めて登場したことです。

1900年には、クランストンは、イングラム・ストリートのティールーム全体の再設計をマッキントッシュに依頼し、白いダイニングルームができました。イングラム・ストリートからダイニングルームに入るためには、鉛入りのガラスが挿入された木製のスクリーンで隔てられた廊下を通過する必要があり、この体験はとても魅惑的であったそうです。

こうした成功により、ついに1903年にソーチホール・ストリートの新しいティールーム建築の全体(レイアウト、外装、内観、家具など)を設計することになりました。こうして作られたのがウィロー・ティールームです。マッキントッシュの最も有名な作品の一つです。

クランストンは、ソーチホール・ストリートの南側にある4階建ての元倉庫を新しい喫茶店のために選びました。この地域は、1800年代初頭にブライスウッド・スクエアのウィリアム・ハーレーによって開発されたブライスウッド・ニュータウンの一部です。 このソーチホール(Sauchiehall)という名前は、スコットランドの柳の木を表す「saugh」と「haugh」の牧草地に由来します。これは、ティールームの重要なデザインコンセプトになります。

マッキントッシュはグラスゴーの常連客が楽しめるように、既存の構造の中でさまざまな機能と装飾が施されたスペースを設計しました。 女性用のティールーム、ランチルーム、ティーギャラリーなどです。また、男性のための喫煙ルーム、女性が友人と会う場所、男性が仕事の休憩時間に利用できる場所などです。

女性のためには明るく、男性的なためには暗く落ち着いた雰囲気を保ち、特に婦人用茶室は白、銀、バラなどが装飾として利用されています。一般的なランチルームはオークとグレーのキャンバスでパネルが張られ、一番上のティーギャラリーはピンク、白、グレーが利用されます。マッキントッシュは妻のマーガレットと協力して、インテリアと外部のファサードを設計することに加えて、家具、カトラリー、メニュー、さらにはウェイトレスの制服までデザインしました。

中でもデラックスルーム(Room de Luxe)は、マッキントッシュが作成した部屋の中で最も贅沢なものです。部屋は建物の正面の2階部分です。奥に位置するティーギャラリーのレベルよりも少し上に位置しており、アーチ型の天井とわずかに湾曲した出窓からソーチホール・ストリートを見渡せます。

当時「アフタヌーンティーのファンタジー」と表現されていたこの部屋は、親密で豪華な内装が施されていました。グレー、紫、白の豪華な配色が特徴で、柔らかなグレーのカーペット、シルクの布張りのダード、椅子と長椅子が豊かなバラの紫で布張りされ、銀色に塗られたテーブルにハイバックの椅子が置かれていました。

この部屋の極めて豪華な装飾は、1900年からのマッキントッシュ・スタイルの延長として理解できます。つまり、先ほど述べたようにこのときの「人々」は、大衆としてではなく、芸術作品を必要とする個人でした。またこうした包括的なインテリアデザインの開発は、商業プロジェクトや展示会のデザインにも影響を与えます。芸術愛好家のための豪華なインテリアデザインは、商業的な「芸術作品としての部屋」であり「Room de Luxe」はその見本とも言えるものです。

マッキントッシュによって再設計された外部のファサードは、アールヌーボーとモダニズムが混在しています。ファサードの一部の領域に浅い曲線があり、窓とメインの入り口には段階的にさまざまな深さのくぼみがあり、慎重に考慮されているのがわかります。この構成は、隣接する建物の都市の文脈を尊重しており、主要なコーニスの線と隣接する建物の高さを一致させています。

1階の玄関ドアは長窓の左端に配置されています。ここは、「Room de Luxe」の下に位置しています。さらに3階4階は3つの個別の規則的な窓がありますが、異なる程度に凹んでいます。こうした規則性と非規則性のパターンも特徴です。構図の非対称性は左側の窓を広げて、ファサードのこの部分に別の緩やかな曲線を作成していることでもわかります。これにより、2階の湾曲した形状が繰り返されて、玄関のある1階の凹んだファサードがより強調されました。

マッキントッシュは、近隣の建物にみられた天然石の仕上げとは対照的に、ファサードを白く滑らかに仕上げることを選択しました。また、この白いファサードの周囲には市松模様の境界線を形成する小さなガラスと装飾タイルがはめ込まれ、優雅さとともに軽快さを加えています。また当時実現された高品位の国産の鉛ガラスにより、内部のインテリアの親密さと内部の豪華さが外部にうかがい知れるという特徴も見逃せません。

1904 ヒルハウス

スコットランドのヘレンズバーグにあるヒルハウスは、グラスゴー芸術学校とともに最も有名な建築です。1904年に竣工しました。マッキントッシュは妻のマーガレットと住居設計に加えて、インテリア、家具、付属品のほとんどを設計しました。このマッキントッシュの細部へのこだわりは、なんとリビング・ルームのテーブルに置く切り花の色にまで及んでいたといいます。

グラスゴーの西にあるヘレンズバーグは、工業化された都市から移住した富裕層が居住する場所でした。1902年に出版社を運営するウォルター・ブラッキーは新しい家を建てるための区画を購入し、マッキントッシュに設計を依頼しました。ブラッキーは進歩的なビジネスマンで、伝統的なレンガ、石膏、木の梁、赤いタイルなどの住居を要求していませんでした。ブラッキーは灰色の粗い壁とスレートによる屋根をより好んでいました。このクライアントの要件と非伝統性の要求は、まさにマッキントッシュのデザインアイデアと合致していました。

また立面図や平面図を作成する前に、マッキントッシュはブラッキーの家で日常生活を観察していたそうです。ブラッキー家の習慣を分析することで、マッキントッシュはクライアントのニーズに応じた家を設計を目指しました。

建物の均一で灰色がかった外観の処理は、曇り空と調和しています。当時よくみられた住居の左右対称性は排除され、完全に非対称の構造はさまざまな屋根のレベルと形状を形成しています。つまり、外部の輪郭は内部の計画の結果と言えます。外部の最小限の装飾、重く厚い壁、長方形と正方形の窓は、強くて落ち着いた外観を形成しています。

一方で内観は、暖かく、エキゾチックで、慎重に装飾されています。外装とは正反対です。マッキントッシュは外装デザインを最小限に抑えてインテリアデザインを強調しています。それは、危険に満ちた外界から安全で幻想的な内部空間への移行を示しています。内部は、エドワード朝時代の親密な「女性らしさ」と本来外部にあるべきパブリックワールドの「男らしさ」を組み合わせたものです。マッキントッシュは、この男性的なパブリック面を内側に持ち込むことで、装飾が施された女性的な従来のインテリアからの脱却を図っています。こうした空間の実現のために、さまざまな素材、色、照明を使用しています。

1982年スコットランド国立トラストに寄付され、最上階は2011年以来貸別荘として運営されています。

3.建築家 チャールズ・レニー・マッキントッシュの書籍 紹介

Visiting Charles Rennie Mackintosh

現在は火災で崩壊してしまったグラスゴー美術大学も掲載されています。チャールズ・レニー・マッキントッシュの代表作を見ることができます。最初の一冊として最適です!!

Visitors to Glasgow in search of Mackintosh’s buildings will have little difficulty in finding the School of Art, or even The Hill House at Helensburgh. But where are the tea rooms, the Art Club, the Daily Record building, Ruchill Church Hall? And outside Glasgow, where is Auchenibert, Windyhill, all of the gravestones? This guide will lead you to them, with access details and a commentary on each entry by Roger Billcliffe, author of several standard works on Mackintosh. Each entry is accompanied by recent or contemporary photographs, full addresses and directions and, for those difficult to find commissions, a full GPS location. Mackintosh is not just about Glasgow and this book covers all the surviving sites, from East Wemyss in Fife through to Argyll in the west, Comrie in Perthshire and Mackintosh’s few English commissions in Northampton, London and Sussex. An indispensable addition to the Mackintosh literature.

Amazonより
  • ペーパーバック: 144ページ
  • 出版社: Frances Lincoln Ltd; UK版 (2012/6/1)
  • 言語: 英語
  • ISBN-10: 0711232857
  • ISBN-13: 978-0711232853
  • 発売日: 2012/6/1

4.まとめ


建築家 チャールズ・レニー・マッキントッシュは、英国の20世紀初頭の近代建築を代表する建築家です。代表作である、ウォローティールームも行ってみたいですが、ちょっと「スーツ」を来てジェントルマンな雰囲気を求められそうですね。私は、たまにはそういうのも好きです。機会があれば行ってみようと思います。

注意説明 公共建築以外の場所の特定は行っていません。個人の所有物である住宅は、場所の特定をしないように配慮しております。ご了承くださいませ。
ストックレー邸

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すむことコム管理人 シミズ
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