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建築家 山口文象を知ろう! 林芙美子自邸/黒部川第二発電所など

建築家 山口文象

建築家 山口文象は、日本を代表するモダニズムの建築家です。ドイツでヴァルター・グロピウスの事務所で働いていたこともあり、質実剛健のデザインといえます。

本記事の内容

本記事では、建築家 山口文象の略歴、代表作、書籍を紹介したいと思います。建築家 山口文象は、モダニズムデザインの建築が有名ですが、大工の棟梁であった父親の影響から和風建築の名手でもあります。東京には山口文象設計の林芙美子自邸は現在記念館として開放されているのでいつでも見られます。興味があれば見てみましょう!

目次

  1. 建築家 山口文象の略歴
  2. 建築家 山口文象の作品
    • 林芙美子記念館(林芙美子自邸)
    • 日本電力黒部川第二発電所・小屋平ダム
    • 山口文象自邸(クロスクラブ)
  3. 建築家 山口文象の書籍 紹介
  4. まとめ

1.建築家 山口文象の略歴

建築家山口文象は1902年に東京の浅草で生まれました。祖父は宮大工、父は大工棟梁だったので、建築一家でした。

1918年に東京高等工業学校附属職工徒弟学校を卒業して、清水組(今の清水建設)に入社します。しかし、2年後の1920年に退社して東京に戻り、逓信省営繕課の製図工になります。ここで、山田守や岩元禄とあったのが建築家として歩み始めるきっかけとなりました。1923年に近代建築運動グループ・分離派建築会の一員となります。このとき21歳です。

関東大震災直後の1923年に創宇社建築会を結成します。また、1924年には関東大震災の復興事業を担当して、橋梁などの土木デザインに関わります。清洲橋、数寄屋橋、浜離宮南門橋などです。この土木デザインが山口文象の大きな特徴です。こうしたことが後の代表作にもつながっていきます。

このあと1930年にシベリア経由で渡欧します。28歳です。まだ結構若いですね。バウハウスを辞めていた建築家ヴァルター・グロピウスのアトリエで働きます。その後1932年に帰国して、自身の設計事務所である山口蚊象建築設計事務所を開設します。(最初は文ではなく蚊でした)

1934年に初期の代表作である日本歯科医学専門学校付属医院を設計します。

その後1938年に黒部第2発電所を設計します。

また、モダニズム住宅として番町集合住宅、小林邸、山田智三郎邸、西竹男邸なども発表します。

しかし、モダニズムとしての建築家としての位置づけから設計した和風建築(林芙美子邸、自邸など)はあまり公表しませんでした。

1949年には猪熊弦一郎、谷口吉郎、前川国男、丹下健三等とともに新制作協会建築部を設立します。また1951年には、三輪正弘や植田一豊とRIAグループを結成し1953年に「RIA建築綜合研究所」を設立します。

劇団・新制作座文化センター、朝鮮大学校校舎なども有名です。

1978年に76歳で逝去します。

2.建築家 山口文象代表作 紹介

林芙美子記念館(林芙美子自邸)

作家・林芙美子が、昭和16年から昭和26年まで住んでいた自邸です。現在は、林芙美子記念館となっています。

昭和14年(1939)12月に設計を開始して竣工が1941年です。

特徴は2つの和風建築が玄関を通してつながっている点です。これは、新居を建設する際に戦争中であったために、建坪制限があり、林芙美子名義と夫の緑敏名義の棟をそれぞれ建て、つなぎ合わせたからです、

山口文象設計によるこの家は、父が大工の棟梁であった影響を十分受けて数寄屋造りのこまやかさが感じられます。モダニズム建築家の山口文象は積極的に公表しませんでしたが、和風建築の秀作です。

林芙美子記念館(林芙美子自邸) 建築家 山口文象

日本電力黒部川第二発電所・小屋平ダム

山口文象のデザインで、モダニズムの力が十分に発揮されたのが、黒部川でのダムや発電所です。

特に黒部川第二発電所関係では、発電所、鉄橋(目黒橋)、小屋平ダムなどの一連の設計を行い、装飾を廃して極めて禁欲的です。

この発電所設計では風致保存上から反対意見もあり、前川国男の父であった内務省の前川貫一とその対応をするようなこともあったそうです。

このときに、渡欧の費用が出されてドイツに行き、ベルリンでカールスルーエ工科大学にダム調査に行ったり、ヴァルター・グロピウスの事務所で働いたりしたのが大きな大きな出来事でした。

このバウハウス的な土木デザインには、このときの滞在が大きく影響していると思われます。

プロポーションが極めて洗練されており、装飾的なものは一切ないなど、モダにムズの特徴が見て取れます。

日本電力黒部川第二発電所・小屋平ダム 建築家 山口文象

山口文象自邸(クロスクラブ)

山口文象が1940年に設計した建てた自邸です。林芙美子自邸の少し前ですね。自邸は和風建築で母屋があり、庭を介して離れがあります。敷地も十分にあるのでとても気持ちいい空間となっています。

現在、山口文象自邸はクロスクラブという名前で市民に一部開放されています。時々コンサートなどで入れますので、是非興味のある人はいってみましょう。

山口文象自邸(クロスクラブ)
山口文象自邸(クロスクラブ)
山口文象自邸(クロスクラブ)
山口文象自邸(クロスクラブ)

3.建築家 山口文象の書籍 紹介

建築家山口文象―人と作品 (1982年)

建築家 山口文象の本は、軒並み絶版で新品で買える本はほとんどというか、全くありません。図書館で見つけて、自分のものにしたい本だけ中古で買うのが良いと思います。

建築家山口文象―人と作品 (1982年)
  • 出版社: 相模書房 (1982/04)
  • ASIN: B000J7OIF2
  • 発売日: 1982/04

4.まとめ


建築家 山口文象は、日本の近代を代表する建築家です。山口文象は土木的な視点も強く、橋や欄干のデザインも行っています。また、御茶ノ水の聖橋は設計助手としてパースを書いていたことも記録として残っています。当時は他にも土木から建築設計に来た人もいましたが、こうした隣接分野からのアプローチは今でも面白くて参考になりますね。


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