デザイナー エットレ・ソットサスは、オーストリアのインスブルック出身でイタリアのトリノの育ちのデザイナーです。メンフィスというデザイン集団を率いたことでも知られています。
本記事の内容
本記事では、デザイナー エットレ・ソットサスの略歴、代表作、書籍を紹介したいと思います。デザイナー エットレ・ソットサスは、オーストリアのインスブルック出身でトリノで青年期をおくりました。第二次世界大戦では従軍して、捕虜として収容所も経験しています。その後、父親と建築の仕事をした後に、自身の事務所を開いて多くの革新的なデザインを開始します。新しい時代を作っていくという強い意思が、カラフルで元気になるデザインの中に見えてくるようです。
目次
- デザイナー エットレ・ソットサスの略歴
- デザイナー エットレ・ソットサスの代表作 紹介
- 1960 ミラノ・トリエンナーレのインテリアデザイン
- 1969 ヴァレンタイン(オリベッティのタイプライター)
- 1981 Libreria Casablanca
- デザイナー エットレ・ソットサスの書籍 紹介
- まとめ
1.デザイナー エットレ・ソットサスの略歴
デザイナー エットレ・ソットサスは、1917年にオーストリアのインスブルックで生まれました。その後、トリノで育ちました。
20世紀を代表するイタリアのデザイナーです。ソットサスのデザインは、建築、家具、宝飾品、ガラス、照明、家庭用品、工業デザインなど多岐に渡ります。
エットレ・ソットサスの父親は建築家で、ジュゼッペ・パガーノが率いるモダニズム建築グループ(MIAR)に所属していました。デザインの道に進んだのは、父親の影響も大きかったと思います。
ソットサスはトリノのポリテクニコ・ディ・トリノで教育を受け、1939年に建築の学位を取得します。
その後、従軍して第二次世界大戦の一部を刑務所で過ごし、さらにユーゴスラビアの労働収容所に収監されます。
戦争が終わって帰還した後、エットレ・ソットサスは父親と一緒に建築家として働きはじめます。そして、戦争中に破壊された建物を、新しい近代的な建物として設計しました。
1947年に、エットレ・ソットサスはミラノで建築および工業デザインのスタジオを設立します。そこでは、絵画、彫刻、家具、写真、宝石、建築、インテリアデザインなど、さまざま分野を対象とします。
1949年にソットサスは作家、ジャーナリスト、評論家であるフェルナンダ・ピヴァーノと結婚します。
エットレ・ソットサスの大きな転機は、1956年にニューヨークのジョージ・ネルソンの事務所で働き始めたことです。
ソットサスとピヴァーノはネルソンの事務所で働いている間に広く旅行し、数ヶ月後にイタリアに戻りました。
1957年にイタリアに戻ったソットサスは、芸術コンサルタントとして、現代家具の生産者であるポルトロノヴァに加わりました。そこで手がけた家具の多くは、後にメンフィスで作成するデザインに影響を与えました。
1956年にエットレ・ソットサスは、オリベッティの設計コンサルタントとして雇われます。
1960年代にオリベッティのためにデザインを続けている間、ソットサスは米国とインドを旅行した経験から一連のオブジェクトを開発しました。
これらには、大きな祭壇のようなセラミック彫刻や、彼の言う「スーパーボックス」、急進的な彫刻作品が含まれていました。この大胆でカラフルな作品群は、その後10年以上後に登場するメンフィスの前身ともいえます。
その頃、ソットサスのデザインは、あまりの急進性に消費者から批判を受けます。
その結果、1960年代後半から1970年代は、スーパースタジオやアーキズームなどの若いデザイナーとの実験的なコラボレーションを行います。
1968年、ロンドンの王立芸術大学はソットサスに名誉博士号を授与しました。
そして、メンフィスの創設に至ります。エットレ・ソットサスは、1980年12月11日にミラノにメンフィスグループを設立しました。
このグループは1981年から1988年まで活動し、多くの革新的なデザインを作り、その後のあらゆるデザイン業界に大きな影響を与えます。
1980年代のメンフィスの活動が、そのエネルギーと華やかさで世界中の注目を集めたとき、エットレ・ソットサスはソットサス・アソシアティ(Sottsass Associati)と名付けた優秀なデザイン・コンサルタントを集め始めました。
ソットサス・アソシアティは1980年に設立され、大規模な建築を構築するだけでなく、大規模な国際産業向けにデザインを開始します。
エットレ・ソットサスの他に、ソットサス・アソシアティの創設メンバーはアルド・シビック、マルコ・マラベリ、マッテオ・トゥーン、マルコ・ザニーニでした。
1985年、ソットサスはメンフィスを離れて、ソットサス・アソシアティに集中します。
ソットサス・アソシアティは、主に建築を中心とした実践であり、店舗やショールーム、アレッシィの展示会やインテリア、日本の家電製品など、あらゆる種類のものを設計しました。
ソットサス・アソシアティは現在ロンドンとミラノに拠点を置き、活動を行なっています。Apple、Philips、Siemens、Zanotta、Fiat、Alessiなどの大手企業のデザインを行い、Esprit(Esprit Holdings)の小売店のインテリアデザインなども行なっています。
デザイナー エットレ・ソットサスは2007年にミラノで亡くなりました。
2.デザイナー エットレ・ソットサスの代表作 紹介
1960 ミラノ・トリエンナーレのインテリアデザイン
1960年の第12回トリエンナーレ「家と学校:現代の装飾および工業芸術と現代建築の国際展示会」のインテリアデザインです。
この展示会はパラッツォ・デラルテで開催されました。
1969 ヴァレンタイン(オリベッティのタイプライター)
1956年、ソットサスは創業者のアドリアーノ・オリベッティに依頼され、オリベッティの設計コンサルタントとして雇われます。
そこで、電子機器の設計とイタリア初のメインフレームコンピューターであるエレア9003のデザイン開発を行い、1959年にコンパッソドーロ賞を受賞します。
ソットサスは、過激な色と形を通じて、オフィス機器を大衆文化の領域に持ち込むことに成功します。彼の最初のタイプライターであるTekne3とPraxis48は、その冷静さと角度が特徴でした。
その後、ソットサスはペリー・A・キングとともに、1969年に有名な「バレンタイン」を作成しました。
これは、今日では20世紀のデザインのマイルストーンと見なされています。
軽くて持ち運びに便利なファッションアクセサリともいえる新しい概念を提供します。
1981 Libreria Casablanca
1981年に設計されたものです。メンフィス時代のエットレ・ソットサスの代表作の一つです。
3.デザイナー エットレ・ソットサスの書籍 紹介
KURAMATA SHIRO and ETTORE SOTTSASS 倉俣史朗とエットレ・ソットサス
本書は、展覧会のためにつくらえた書籍ですが、内容も写真も濃くてお勧めです。倉俣史朗と比較しながらの視点もとても面白くて勉強になります。
4.まとめ
デザイナー エットレ・ソットサスは、戦後のイタリアデザインを代表するデザイナーのひとりです。エットレ・ソットサスが率いたメンフィスはとても有名です。私はその前のオリベッティのデザインも気に入っています。初期のタイプライター(Tekne3&Praxis48)もヴァレンタイン(オリベッティ)も、カッコ良くてほしくなります。