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建築家 山脇巌を知ろう! 三岸好太郎アトリエ/旧俳優座劇場など

建築家 山脇巌は、長崎県出身の建築家であり写真家です。奥さんの山脇道子と一緒にバウハウスで学んだことでも知られています。

本記事の内容

本記事では、建築家山脇巌の略歴、代表作、書籍を紹介したいと思います。建築家山脇巌は、バウハウスでミース・ファン・デル・ローエ、カンディンスキーらに学んでいます。バウハウスは戦争の影響により、1919年から1933年の14年間という短期間で閉校になりました。山脇巌は1930年に渡欧しているので、ギリギリ最後の期間です。工芸、写真、デザイン、美術、建築などの総合的芸術教育を肌で感じ、その学びを日本に紹介したことでも有名です。

目次

  1. 建築家 山脇巌の略歴
  2. 建築家 山脇巌の代表作 紹介
    • 1934 三岸好太郎アトリエ
    • 1953 旧俳優座劇場
    • 1965 日本大学芸術学部校舎
  3. 建築家 山脇巌の書籍 紹介
  4. まとめ

1.建築家 山脇巌の略歴

建築家 山脇巌(旧姓:藤田)は1898年に長崎県対馬で生まれました。1926年に東京美術学校図案科第二部(建築科)を卒業して、横河工務所(今の横河建築設計事務所)に入所します。日本で最初期の組織系の設計事務所です。その後、 裏千家の山脇善五郎の娘の山脇道子と結婚します。養子に入り山脇姓を名乗ります。

1930年に32歳の時に、夫人とともにバウハウスに留学します。そこで、ミース・ファン・デル・ローエやカンデンスキーらに当時の最近のデザインを学びます。極めて大きな影響を受けて1932年に帰国します。

その後バウハウスで学んだデザイン理論を日本に浸透させていきます。川喜田煉七郎の新建築工芸学院に在籍し、自由学園の工芸研究所で講師を努めます。1939年のニューヨーク万国博覧会では、日本館を手がけます。1940年には帝国美術学校(現在の武蔵野美術大学)の校長を努め、1947年に日本大学の教授となります。1947年に自身の事務所として生産工芸研究所を設立します。

主な作品に、1951年ハノーファーの世界建築博覧会で日本館、旧三岸好太郎アトリエ、自邸山脇邸(1935年)、旧俳優座劇場(1953年)、日本大学芸術学部校舎(1965年)などがあります。

1977年からは日本大名誉教授となり一線を退きます。 1987年に88歳で亡くなります。

1934 三岸好太郎アトリエ

三岸好太郎は友人だった山脇巌に新しいアトリエの設計を依頼します。1932年にドイツから帰国しているので、最新のデザイン理論を身につけた山脇巌に三岸好太郎が強い関心を持ったのもわかります。後に三岸がコラージュの手法を取り入れたのも、山脇巌からバウハウスのデザイン手法を学んだことが影響しています。

簡素な四角い外観に、ガラスの大きなガラス窓がはめ込まれ、装飾は排除されています。一方で、内部には、らせん階段があり上下階をつなぐとともに、柔らかい曲線によって温かみのある内観を形成しています。このアトリエは三好好太郎の強い希望が試され、共同制作に近いものでした。

竣工1934年に残念ながら三岸好太郎は若干31歳で急死して、このアトリエを利用することはなかったそうです。現在は、登録文化財として残っています。

機会があれば見にいきたいですね。

LIFULL HOME’S PRESS
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1953 旧俳優座劇場

劇団俳優座の10周年事業として、山脇巌の設計で1954年に竣工しました。戦後における新劇のための劇場として、多くの俳優を育ててきました。こけら落とし公演は、第26回公演、アリストパネス作の『女の平和』とマルシャーク作『森は生きている』であったそうです。

1階をピロティで持ち上げて柱と壁分離して水平の連続窓が見て取れます。ここでもバウハウスのデザインコードが生かされているのがわかります。

老朽化により1980年に現在の俳優座に改築されました。

1965 日本大学芸術学部校舎

山脇巌は、自身が教授を務めた日本大学芸術学部の旧校舎(大講堂、図書館、食堂など一連の建物)を設計しています。図書館棟は、複数のボリュームを機能によって分節しながらゾーニングしているのがわかります。一階を持ち上げて大地に開放し軽やかな印象があります。また、食堂棟は光を内部にふんだんに入れるように壁の1面を完全にガラスとしています。また波打つ屋根のデザインも印象的です。

日本大学芸術学部 図書館棟
日本大学芸術学部 食堂棟

3.建築家 山脇巌の書籍 紹介

Iwao Yamawaki

建築家としての山脇巌ではなく、ここでは写真家山脇巌として、大変優れた写真集を紹介します。山脇巌はバウハウス時代に写真のモンタージュ技法を学んでいます。また日本でもこうしたモンタージュ技法を生かした作品(『バウハウスへの打撃  Schlag gegen das Bauhaus』(1933))を発表しています。こうしたの非常に才能のある写真家としての一面を山脇巌はもっています。

この本は、そうした山脇巌の視覚実験としての写真モノグラフです。山脇巌は、モダニズムの時期において日本の写真の歴史と建築が交差する極めて興味深い人物です。特に、Laszlo Moholy-NagyとWalter Peterhansの写真手法は、山脇巌に極めて大きな影響を与えています。

Human Mechanics, 1925 – Laszlo Moholy-Nagy

山脇巌を知る上で、おすすめできる一冊です。

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This is the first monograph illustrating the fascinating visual experiments of a very talented photographer of the Bauhaus era. Iwao Yamawaki is an interesting figure at the intersection of modernism and the history of Japanese photography. He began his career as an architect but became dissatisfied with Japanese practices. For that reason he travelled to Germany in 1930, where he enrolled as a student of the Bauhaus in Dessau. He started studying architecture at the Bauhaus, but soon moved on to the photography section where he produced architecture photography, portraits, still-lifes and photomontages. The photographic methods of Laszlo Moholy-Nagy and Walter Peterhans had a big influence on him. Yamawaki continuously analysed the relationship between photography and the design of spaces, and he often tried to interpret the connection between human beings and architectural space in his pictures.

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4.まとめ

建築家 山脇巌は日本の近代を代表する建築家です。後に日本大学芸術学部の設立にも関わりました。教育への意欲はバウハウスでの学びが大きく影響していると思います。また、建築家としてだけでなく写真家としても活躍しています。「写真」という当時の最先端のメディアを使用した総合芸術としての学びは、その後の活動にも大きく影響しています。

注意説明 公共建築以外の場所の特定は行っていません。個人の所有物である住宅は、場所の特定をしないように配慮しております。ご了承くださいませ。

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