建築家 マルセル・ブロイヤーは、モダニズムの最前線にいた建築家ですが、もともと家具デザイナー出身であり、ワシリーチェアなどのデザインで知っている人も多いと思います。
本記事の内容
本記事では、建築家マルセル・ブロイヤーの略歴、代表作、書籍を紹介したいと思います。建築家マルセル・ブロイヤーは、ヴァルター・グロピウスと同様にナチスの迫害を逃れてドイツから米国に亡命します。このときに、多くのヨーロッパ出身のデザイナー・建築家がアメリカに行ったために、建築の中心地がヨーロッパからアメリカに移動します。そうした状況の真っ只中にいた建築家です。時代毎の影響はとても大きいですね。
目次
- 建築家 マルセル・ブロイヤーの略歴
- 建築家 マルセル・ブロイヤーの作品(ワシリー・チェアの生みの親)
- ワシリー・チェア
- ユネスコ本部
- 旧ホイットニー美術館
- 建築家 マルセル・ブロイヤーの書籍 紹介
- まとめ
1.建築家 マルセル・ブロイヤーの略歴
建築家マルセル・ブロイヤーは1902年にハンガリーで生まれました。バウハウスでグロピウスのもとで学んだのちに、バウハウスの教授となります。
マルセル・ブロイヤーの作品で最も有名なのは、曲げた金属パイプを使用した『ワシリー・チェア』です。この椅子は、1925年にワシリー・カンディンスキーの為に設計したと言われますが、実際は少し違います。詳細は後ほど。この時代の大量生産にも向いていて、分解も再組み立ても容易です。
1930年代に入りドイツ国内でナチスが台頭するとバウハウスは解体されます。マルセル・ブロイヤーはロンドンに移住し、その後アメリカに渡ります。その後彼はハーバード大学デザイン大学院で建築を教えることになります。この時の学生には、後にアメリカを代表する建築家となったフィリップ・ジョンソンやポール・ルドルフなどがいました。
マルセル・ブロイヤーはニューヨークでヴァルター・グロピウスと住宅のデザイン行い、その後に自身の建築設計事務所を作ります。特に1945年の『Geller House I』は有名です。玄関を中心にして、寝室と居間・食堂・キッチンを両側に分けています。特徴的な“バタフライ”と呼ばれる屋根を持っています。
その後1953年にパリのユネスコ本部の設計が転機となります。この設計以降は、曲線や彫刻的な表現を多用するようになります。つまり、いわゆるブルータリズムの先駆者となります。
ル・コルビジェもそのように言われますが、同時代性がありますね。
マルセル・ブロイヤーは1981年に79歳で逝去します。
2.建築家 マルセル・ブロイヤーの代表作 紹介(ワシリーチェアの生みの親)
ワシリー・チェア
ワシリーチェアは1925年に、マルセルブロイアーによって設計されました。
実はこの椅子はバウハウスに所属していた画家ワシリー・カンディンスキーのために特別に設計されたものではありませんでした。 しかし、カンディンスキーがこの完成形デザインを賞賛したため、ブロイヤーはカンディンスキーの個人的な宿舎のために複製を作りました。
この椅子とカンディンスキーとのつながりを知ったイタリアのメーカー「ガヴィーナ社」は、再生産時に「Wassily」として売り出しました。
この「Wassily」チェアは、最初は曲げ木椅子のデザインで最もよく知られているオーストリア家具メーカーにより、モデルB3という名前で製造されました。この初期型は、おりたたみバージョンとFIXバージョンの両方で利用できました。初期版ストラップは生地で作られスプリングを使用して裏側をぴんと張っていました。このバージョンの椅子が最も珍しいものですね。第二次世界大戦中に生産が中止されました。
戦後、ガヴィーナ社はマルセル・ブロイヤーのライセンスを取得し、生地を黒革のストラップに置き換えたて、ワッシーリーバージョンを導入しました。
ワシリーチェアーは、1950年代から継続的に生産され、今も購入可能です。
ユネスコ本部
1953年に設計を始めて、1958年にパリのユネスコ本部は竣工しています。
1958年に完成したユネスコ本部は、マルセル・ブロイヤー、ピエールルイジ・ネルヴィ、ベルナール・ゼルフュスの3人が設計を担当しました。また、サーリネンの協力を得て、Lucio Costa(ブラジル)、Walter Gropius(アメリカ合衆国)、Le Corbusier(フランス)、Sven Markelius(スウェーデン)、Ernesto Nathan Rogers(イタリア)で構成される5人の建築家の国際委員会によって確認されました。かなりの大御所の勢揃いです。
本館は7つのフロアからなり、三方に腕を伸ばした形状をしています。「アコーディオン」と呼ばれる建物と、代表団および非政府組織を対象とした立方体の建物で成立しています。
旧ホイットニー美術館(マルセル・ブロイヤー設計)
マルセル・ブロイヤー設計の旧ホイットニー美術館は、1966年にマディソン・アベニューと75丁目に建設された。
かなり特徴的な外観をしています。花崗岩の外壁をもち、階段が逆さになった形状で、重量感があります。モダニズムは軽い建築を目指していると説明位されることも多いので違和感がありますが、コルビジェも後期の作品は重々しいものが多いです。
2014年にこの美術館は一時閉鎖されて、メトロポリタン美術館が2015年から少なくとも8年間リースすることになっているので、まだ中が見られます。行くなら今のうちかもしれません。
今後は保存していってほしいと思いますが、どうなるでしょう?日本なら、きっと取り壊されそうですが。
新ホイットニー美術館(こちらはレンゾ・ピアノ設計)
マディソン・アベニューのホイットニー美術館が2014年10月に閉鎖され、2015年5月1日にワシントン・ストリートとガンズヴォート・ストリートの角に新築の建物で再オープンしました。設計はレンゾ・ピアノです。
ハイライン公園の南端の出口すぐに位置していて、ハイラインと一緒に見に行くといいですね!
3.建築家 マルセル・ブロイヤーの書籍 紹介
マルセル・ブロイヤーの住宅―M.ブロイヤーとH.ベッカードのアメリカン・モダンリビング
マルセル・ブロイヤーの住宅はあまり知られていませんし、日本語で読める本も多くありません。その中で貴重な一冊です!
住宅に興味がある人は、必見です。
建築家としてのブロイヤーを知らない人でも、あのスチールパイプと籐の椅子「チェスカ」は知っているはずだ。若くしてバウハウスの家具マイスターを務め、後にアメリカに渡り幾多の名建築を手がけたブロイヤーだが、彼の本質はむしろアメリカン・モダンリビングの規範となった住宅設計にあった。ここに紹介するブロイヤーとベッカードの協働による住宅デザインの数々は、21世紀の今日でもなお、その革新性と輝きを失っていない。
「Bookデータベース」より
4.まとめ
建築家 マルセル・ブロイヤーは、ハンガリー出身で激動のヨーロッパを生き抜き、米国でも活躍した近代を代表する建築家です。家具デザイン、公共建築、住宅デザイン、なんでもやっています。少し巨匠の影に隠れてしまっているような気がしますが、特に住宅デザインはアメリカの後が住宅の典型となっています。特に住宅の本を読み返すと、もう一度調べてみようと思います。