建築家 伊藤喜三郎は、中央区の宝町出身の建築家です。慶應大学病院など、多くの病院建築を中心に設計してきました。また画家としても活動しました。
本記事の内容
本記事では、建築家 伊藤喜三郎の略歴、代表作、書籍を紹介したいと思います。建築家 伊藤喜三郎は、日本の病院建築を多く設計してきた建築家です。現在も、病院建築を中心に設計事務所は活動しています。巨匠の設計事務所は、建築家が亡くなると組織がなくなってしまう場合が多いですが、プロフェッショナルに分野に特化した設計事務所は維持継続されます。こうした、組織事務所を創設した建築家でもあります。
目次
- 建築家 伊藤喜三郎の略歴
- 建築家 伊藤喜三郎の代表作 紹介
- 1963 板橋区役所庁舎
- 1977 柏中央体育館及び保健センター
- 1986 慶應義塾大学病院
- 建築家 伊藤喜三郎の書籍 紹介
- まとめ
1.建築家 伊藤喜三郎の略歴
建築家 伊藤喜三郎は、1914年に東京都中央区宝町で生まれました。絵がとても上手で小さい頃から画家を目指していたそうです。その後、1938年に日本大学理工学部建築学科を卒業して、東京大学の営繕課、大成建設などで設計の実務を学んで、1952年に38歳で建築設計事務所・伊藤喜三郎建築研究所を設立します。
戦後は、新建築の住宅コンペの審査員を吉阪隆正や清家清と務めており、多くの建築家との交流もありました。
また初期の作品である1963年に竣工した旧板橋区役所庁舎は、モダニズム建築で当時の建築デザインの最先端を走っていたこともわかります。
伊藤喜三郎は、当時建築家があまり手掛けてこなかった病院建築に着目し、独自の領域で病院設計のプロフェッショナル事務所として活動していきます。主な作品は病院建築が多く、産業医科大学、慶應義塾大学病院、三楽病院、国立身体障害者リハビリテーションセンターなどがあります。
後年は設計事務所を後任に任せて、主に画家としての活動を行なっていきます。日本自由画壇理事長に就任し、伊藤三喜庵の名前で絵本の出版も手掛けています。
伊藤喜三郎は、1996年に82歳で亡くなりました。
2.建築家 伊藤喜三郎の代表作 紹介
1963 板橋区役所庁舎
旧板橋区役所庁舎は1963年に竣工です。打ち放しのコンクリート仕上げで、当時の日本的な伝統的意匠をコンクリート建築に取り込んだデザインを持っており、丹下健三の香川市庁舎や、岸田日出刀の倉吉市役所をを思い出します。
縦ルーバーを用いた窓は繊細なファサードをつくりだしています。また、角度を持った建築の前面に庭と車寄せがあり、またキャノピーや屋上の曲面の塔屋ではル・コルビジェのデザインなどの影響も見られます。

1977 柏中央体育館及び保健センター
柏中央体育館及び保健センターは1977年に竣工です。バウハウス流のきわめて機能的なデザインとなっており装飾は極力排除されていますが、体育館の上部の窓の張り出しが独特な影を形成して建物に奥行きを与えています。
既設であった市民文化会館と隣接しており、市役所から伸びる道路がアプローチとなっています。柏中央体育館と保健センターを分断する形でぺデストリアンデッキに続く階段が設置され、基本的には体育館と保健センターは分離しています。体育館は屋内スポーツを主として、市民の交流の場として利用されました。

1986 慶應義塾大学病院
慶應義塾大学の創立125周年記念事業として慶應義塾大学病院が1986年に竣工しました。東側に赤坂御所があり、南には神宮外苑があります。また新宿御苑も近く公園の多い場所です。
中庭を中心にレイアウトされ、駐車場、病棟、中庭が一体となっています。高層階の病室からは新宿御苑を見渡せるため、療養の環境が大幅に向上しました。

3.建築家 伊藤喜三郎の書籍 紹介
建築画報 158 特集●伊藤喜三郎建築研究所
建築家 伊藤喜三郎に関する書籍は、古本を探すことになるかと思います。しかし、比較的安価で探すことができますので、興味があったら是非購入してみてください。
4.まとめ
建築家 伊藤喜三郎は、日本を代表する建築家です。画家としても活動していたのは、ル・コルビジェと同じですね。やはり、絵を描くことは手を動かすことでもあり、建築設計の実務と共通することが多いのでしょう。後年は画家として充実した時間を送っていたそうです。伊藤喜三郎の絵も気になりますね。