デザイナー 剣持勇は、東京出身の工業デザイナーです。日本の家具で初めてMoMA(ニューヨーク近代美術館)の永久展示品に選ばれたラウンジチェアシリーズのデザイナーとしても知られています。
本記事の内容
本記事では、デザイナー 剣持勇の略歴、代表作、書籍を紹介したいと思います。デザイナー 剣持勇は、東京出身の工業デザイナーです。剣持勇は、イサムノグチとの出会いから大きな影響を受けています。剣持勇は、日本の伝統素材や伝統技術を使いながら、日本のモダニズムのあり方を模索しています。こうした西洋の模倣ではなく、日本独自のモダニズムのあり方を見ていくやり方は当時の建築家の考え方とそっくりで、お互いの影響を感じます。そういうデザインへのあくなき追求から、建築家丹下健三や大谷幸夫とのつながりも出ていくるだと合点します。
目次
- デザイナー 剣持勇の略歴
- デザイナー 剣持勇の代表作 紹介
- 1955 スタッキングスツール(秋田木工)
- 1961 柏戸イス(天童木工)
- 1961 ラウンジチェア C-3100 シリーズ
- デザイナー 剣持勇の書籍 紹介
- まとめ
1.デザイナー 剣持勇の略歴
デザイナー 剣持勇は、1912年に東京で生まれました。
第二次世界大戦後、日本の工業デザインの発展に多大な貢献を行なったデザイナーです。世界的にも「ケンモチ」として有名な工業(家具)デザイナーです。
渡辺力・柳宗理・長大作・水之江忠臣などと日本の初期のモダニズムデザインの牽引者でした。
剣持勇は1932年に東京高等工芸学校(現在の千葉大学工学部)を卒業します。千葉大学工学部デザイン学科は今でも有名ですが、その礎とも言えるでしょう。
剣持勇は、1950年にイサム・ノグチと出会います。すぐに意気投合した二人は、一緒に多くの家具デザインを開発して、日本家具の伝統文化とモダニズムスタイルを統合した、あたらしい日本モダンスタイルを開拓しました。
1952年剣持勇は米国を訪問し、多くデザイナーとあって交流を深めます。その年の後半、剣持勇は日本工業デザイナー協会を創設します。
剣持勇は、廉価で高機能な工業デザイン(家具デザイン)分野で手腕を発揮します。
代表作としては、1958年に発表された「スタッキング・チェア(スタッキング・スツール)」、1961年に発表されたラウンジチェアシリーズのラタンチェアー(YMK長岡)などが有名です。
剣持勇のラウンジチェアは日本の家具としては初めてニューヨーク近代美術館(MoMA)の永久収蔵品に加えられました。
その後、丹下健三設計の香川県庁舎、大谷幸夫設計の国立京都国際会館、京王プラザホテルの内装など多くのデザインを手がけたました。
剣持勇は1971年6月3日に59歳で自殺して亡くなりました。
2.デザイナー 剣持勇の代表作 紹介
1955 スタッキングスツール(秋田木工)
1955年に剣持勇がデザインして、1958年に販売されたされたスタッキングスツール(秋田木工)「202」は、なんと類型100万脚を超えるベストセラー商品として、現在も販売されています。
2013年に、グッドデザイン・ロングライフデザイン賞を受賞しています。定番中の定番です。
1961 柏戸イス(天童木工)
1961年に剣持勇デザインによって発売された、ブロックを積み重ねて削り出した椅子です。山形出身の大横綱「柏戸」が横綱に昇進したときに贈呈されたことから、「柏戸イス」と呼ばれています。
杉材の根元のかなり荒々しい木目を選定しているので、荒々しくも木目の美しい椅子です。
1961 ラウンジチェア C-3100 シリーズ
ラウンジチェア C-3160 シリーズは、ホテルニュージャパンのラウンジに使われたことから、そのままの名前ですが、ラウンジチェアといいます。
日本の伝統的な藤素材の編み込みであり、丸みを帯びたとても美しいプロポーションであり、剣持勇の代表作です。
通常は夏用の伝統的な藤素材のイメージを一新させて、日本モダニズムデザインとして世界的に認められ、1964年に日本の家具デザインとしては初めてMoMAのパーマネントコレクションに選定されました。
3.デザイナー 剣持勇の書籍 紹介
ジャパニーズ・モダン―剣持勇とその世界
初期のモダニズムの時代の書籍はかなり少なくなっています。
この書籍は、剣持勇のデザインした作品を見ることができる貴重な一冊です。書籍には火災にあったホテルニュージャパンの内部空間の写真もあり、必見です。
良い中古の本があったら、早めに手に入れておきましょう。
4.まとめ
デザイナー 剣持勇は、モダニズムの時代を代表する家具デザイナーのひとりです。単体の家具もいいですが、丹下健三設計の香川県庁舎、大谷幸夫設計の国立京都国際会館、京王プラザホテルの内装などは、空間として剣持勇を体験できます。機会があったら行ってみましょう。