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建築家 アルド・ロッシを知ろう!カルロ・フェリーチェ劇場など

建築家 アルド・ロッシは、イタリアのミラノ出身の建築家です。建築家でもあり、都市計画を含む建築理論家としても知られています。

本記事の内容

本記事では、建築家 アルド・ロッシの略歴、代表作、書籍を紹介したいと思います。建築家 アルド・ロッシは、イタリア・ミラノ出身の建築家です。ポストモダン建築の代表的建築家ですが、元々建築理論家であったことが大きく影響しています。二つの重要な著書「都市の建築」(L’architetturadellacittà、1966)と「科学的自伝(アルド・ロッシ自伝)」(Autobiografia Scientifica、1981)を読んでからアルドロッシの建築を見ると、ステレオタイプ的な「ポストモダン建築」と大きく違うことがわかると思います。

目次

  1. 建築家 アルド・ロッシの略歴
  2. 建築家 アルド・ロッシの代表作 紹介
    • 1990 カルロ・フェリーチェ劇場
    • 1995 ボネファンテン美術館
    • 1998 門司港ホテル
  3. 建築家 アルド・ロッシの書籍 紹介
  4. まとめ

1.建築家 アルド・ロッシの略歴

建築家 アルド・ロッシは、1931年にイタリアのミラノで生まれました。

アルドロッシは、建築理論、建築デザイン、プロダクトデザインといった分野で国際的に認められたイタリアの建築家兼デザイナーです。また、アルド・ロッシはポストモダン運動の主要な人物の一人とされています。

アルド・ロッシはソマスカン修道会による早期教育の後、レッコのアレッサンドロボルタ大学を卒業し、その後1949年にミラノ工科大学の建築学校に通いました。アルド・ロッシの論文指導教官はピエロ・ポルタルッピです。

アルド・ロッシは、1955年の在学中に建築理論に関する執筆を開始し、1959年からは建築雑誌「Casabella-Continuità」の編集者の1人でした。

その後、ロッシはソシエタ誌とイル・コンテンポラネオ誌で働き、当時の文化的議論の中で最も重要な人物の一人になりました。

アルド・ロッシの初期の記事は、アレッサンドロ・アントネッリ、マリオ・リドルフィ、オーギュスト・ペレ、エミル・カウフマンなどの建築家を対象としています。

また、アルド・ロッシはスイスの女優ソニア・ジェスナーと結婚し、建築だけでなく映画と演劇の世界についても執筆しています。

アルド・ロッシは1956年にイグナシオ・ガルデラのスタジオで建築キャリアを開始し、1963年には、アレッツォの都市計画学校で助手となり、その後ヴェネツィアの建築研究所に移ります。1965年にアルド・ロッシはミラノ工科大学の講師に任命されます。

アルド・ロッシの建築キャリアは、当初は建築理論と小さな建築作業に専念していましたが、アイモニーノがガララテス地区にあるモンテ・アミアータ・コンプレックスの一部の設計を依頼した時から有名となりました。さらに1971年のサンカタルド墓地のデザインコンペで優勝し、国際的に有名になります。

1973年にミラノトリエンナーレ展で国際建築セクションのディレクターを務め、ロッシの展覧会のデザインアイデアは秀逸でした。

1979年からは、聖ルカアカデミーの会員になり、ニューヨーク市のクーパーユニオンやイサカ(ニューヨーク州)のコーネル大学などで、米国の大学で教鞭を執りました。

1981年にアルド・ロッシは自伝を出版しました。この自伝では、アルド・ロッシは「離散的な無秩序」を提唱し、「記憶、物、場所、形、文学ノート、引用、洞察を取り戻し、…物事や印象を調べたり、説明したり、説明する方法を探したりしよう」を主張します。

1984年にイグナツィオ・ガルデッラとファビオ・ラインハルトと共に、ジェノヴァのカルロ・フェリーチェ劇場の改修コンペで最優秀賞となります。

1990年にアルド・ロッシはプリツカー賞を受賞しました。また、1991年にアメリカ建築家協会から公共建築のトーマス・ジェファーソンメダルを獲得しました。

これらの賞に続いて、パリのポンピドゥーセンター、アムステルダムのブールスファンベルラージュ、ベルリンのベルリンギャラリー、ベルギーのゲントの現代美術館で展示が行われました。

1996年に彼はアメリカ芸術文学アカデミーの名誉会員になり、翌年には建築とデザインの特別文化賞を受賞しました。

アルド・ロッシは1997年9月4日に自動車事故の後、ミラノで亡くなりました。

2.建築家 アルド・ロッシ代表作 紹介

アルド・ロッシの1960年代の彼の初期の作品は理論的な物が多く、1920年代のイタリアのモダニズム(ジュゼッペ・テラーニを参照)、ウィーンの建築家アドルフ・ロースの古典主義の影響、画家ジョルジオ・デ・キリコの影響が見られます。

また理論では、スターリン様式の建築を研究するためのソビエト連邦への旅行もまた、重要な要素です。

アルド・ロッシは彼の著作の中で、現在の建築実務における「都市の理解の欠如」を強く批判しました。アルド・ロッシは、「都市は時間をかけて建設されたものとして研究され、評価されなければならない」と主張しました。

特に興味深いのは、時間の経過に耐える都市の「アーティファクト」と言われるものを指摘しました。ロッシによると、都市はその過去(私たちの「集合的記憶」)を覚えており、私たちはその記憶を建築(記念碑、モニュメント)を通して読み取っていると主張しました。

つまり、モニュメントは都市にある構造を与えます。そして、アルド・ロッシはヨーロッパの古代都市の永続性に触発されて、時間が経過しても陳腐化の影響を受けないような「古代都市」と同様の構造を計画することに執念を燃やしています。

ロッシは1970年代後半から1980年代にかけて、二つの重要な著書「都市の建築」(L’architetturadellacittà、1966)と「科学的自伝(アルド・ロッシ自伝)」(Autobiografia Scientifica、1981)で展開した理論で非常に大きな影響力を持ちました。

ロッシの最大のプロジェクトは、1971年に始まったイタリアのモデナにあるサンカタルド墓地です。ロッシはそれを「死者の街」と呼んでいます。

その後1980年代、ロッシはアレッシィ、ピレリなどのためにステンレス鋼のカフェキッチンウェア製品をなども設計しています。

1990 カルロ・フェリーチェ劇場

カルロ・フェリーチェ劇場は、イタリアのジェノヴァの主要なオペラハウスで、オペラ、バレエ、オーケストラ音楽、リサイタルの演奏に使用されています。フェッラーリ広場の横にあります。

ホールはカルロ・フェリーチェ王にちなんで名付けられ1824年に着工します。初演は、ベッリーニのビアンカとフェルナンドで、内部の装飾が完全に完成していなかったにもかかわらず、1828年に行われました。講堂は、5層の約2,500人の聴衆、オーケストラピットのスタンディングルームを収容していました。音響は当時最高のものでした。

ホールは1859年から1934年に何度も改築され、1941年にイギリスの軍艦によって発射された砲弾が屋根にぶつかり、大きな穴が開いたままになります。その後講堂の天井が破壊されてしまいます。

1943年には焼夷弾が舞台裏で火災を起こし、すべての風景と木製の備品が破壊されます。さらなる被害はなんと劇場の後ろから侵入した略奪者によって引き起こされました。最後に1944年の空襲により劇場の正面が破壊され、事実上劇場は崩壊しました。

1990 カルロ・フェリーチェ劇場 建築家 アルド・ロッシ

復興計画は終戦直後から始まりました。

パオロ・アントニオ・チェッサによる最初のデザインは却下され、その後カルロ・スカルパによるデザインが1977年に承認されます。しかし、スカルパの早すぎる死によって設計が中止されました。

その後、アルド・ロッシが現在のデザインを設計します。そこでは、元のファサードの一部が再現されていますが、インテリアは完全にモダンデザインとなっています。

ホールは1991年に正式に再開され、メインホールは最大2,000席、講堂は200席あります。

1990 カルロ・フェリーチェ劇場 建築家 アルド・ロッシ
wikipedia

1995 ボネファンテン美術館

ボネファンテン美術館は、オランダのマーストリヒトにある美術館です。この博物館は、オランダのリンブルフ州の歴史考古学博物館として1884年に設立されました。

ボネファンテン博物館という名前は、1951年から1978年まで博物館を収容していたかつての修道院の通称であるフランスの「ボンネファンテン」(「良い子供たち」)に由来しています。

1995年に、博物館は現在の場所に移転しました。新しい建物は、アルド・ロッシによって設計され、マース川を見下ろすロケットの形をしたキューポラは、マーストリヒトで最も有名な近代建築のひとつとなっています。

1995 ボネファンテン美術館 建築家 アルド・ロッシ
wikipedia

1998 門司港ホテル

プレミアホテル門司港(旧門司港ホテル)は、福岡県北九州市門司区にあるホテルです。

イタリアの建築家アルド・ロッシの晩年の作品です。設計のモチーフは文字通り「門」です。内部のインテリアデザインは内田繁が担当しています。

2016年10月に「プレミアホテル門司港」と名称変更して外国人観光客が増加し、現在は一部改修してオフィス部分を客室に変更しています。

1998 門司港ホテル 建築家 アルド・ロッシ
wikipedia

3.建築家 アルド・ロッシの書籍 紹介

アルド・ロッシ自伝 (SD選書 (191))

言わずと知れたアルド・ロッシ著の重要な著書「都市の建築」(L’architetturadellacittà、1966)と「科学的自伝(アルド・ロッシ自伝)」(Autobiografia Scientifica、1981)の翻訳版です。

アルドロッシを知る上での最重要書籍です。作品集を見る前に、こちらを一読しておくと良いと思います。

ロッシのプロジェクト、建築作品を生み出す際の思索の過程をまとめあげたもの。彼の「類推的都市」以降発展させた建築の存在論的問題についても深く省察され、今日の一つの建築のあり方が十分に理解できる書である。

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現代建築界の論客ロッシの主著であり、いまや古典となりつつある名著の翻訳版。対症療法に甘んじる都市学者や都市計画者の都市の認識に反駁を加える彼の都市論は、初版から25年経った現在でも光彩を放っている。

「MARC」データベースより

4.まとめ

建築家 アルド・ロッシは、ポストモダン建築を代表する建築家のひとりです。建築理論から入り、その後実作を作っていくことになります。特に1970年代以降の多くの建築は、世界にひとつの潮流を作り出すきっかけとなりました。都市の理解をどのように建築にするのか、そのプロセスを書籍として残しているので、とても参考になります。

注意説明 公共建築以外の場所の特定は行っていません。個人の所有物である住宅は、場所の特定をしないように配慮しております。ご了承くださいませ。

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