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建築家 フィリッポ・ブルネレスキを知ろう!捨子保育院/フィレンツェ大聖堂など

建築家 フィリッポ・ブルネレスキは、現在のイタリアのフィレンツェ共和国出身の建築家です。フィレンツェ大聖堂(ドゥオモ)の設計者としても有名です。

本記事の内容

本記事では、建築家 フィリッポ・ブルネレスキの略歴、代表作、書籍を紹介したいと思います。建築家 フィリッポ・ブルネレスキは、1377年に現在のイタリアのフィレンツェ共和国で生まれました。もともと彫刻家としての訓練を受けて、後に建築設計の行います。この流れは、ミケランジェロも同じですね。とにかく、フィレンツェといえば、メディチ家であり、ブルネレスキ、ミケランジェロ、レオナルド・ダ・ヴェンチは外せませんね!

目次

  1. 建築家 フィリッポ・ブルネレスキの略歴
  2. 建築家 フィリッポ・ブルネレスキによる古代の再発見
  3. 建築家 フィリッポ・ブルネレスキの代表作 紹介
    • 1419起工 捨子保育院(スペダーレ・ディ・サンタ・マリーア・デッリ・イノチェンティ)
    • 1420起工 サンタ・マリーア・デル・フィオーレ大聖堂のクーポラ/フィレンツェ大聖堂(1434s竣工)
    • 1425起工 サン・ロレンツォ聖堂(1480s竣工)
  4. 建築家 フィリッポ・ブルネレスキの書籍 紹介
  5. まとめ

1.建築家 フィリッポ・ブルネレスキの略歴

建築家 フィリッポ・ブルネレスキは、1377年に現在のイタリアのフィレンツェ共和国で生まれました。

ブルネレスキは文学と数学の教育を受け、芸術的にとくに傾倒していたためフィレンツェ市内で最も権威のあるギルドであったりアルテデラセタに弟子入りしました。 ブルネレスキは主に宝石商や金細工師を含むシルク商人を中心とするギルドのメンバーでしたが、実は当初は建築家を含む石や木材職人のギルドメンバーではありませんでした。1398年にブルネレスキは金銅細工師になり、特にブロンズ鋳物を扱う彫刻家となります。

ブルネレスキはルネサンス建築の初期の人物であり、最初の近代的なエンジニア、プランナー、建設家でもあります。特に有名なのは、フィレンツェ大聖堂のドームの設計です。この巨大なドームの設計は古代以来達成されなかった工学の偉業とされました。また、19世紀後半まで絵画の空間描写を支配した線形遠近法の数学的手法の開発にり後世まで多くの芸術的影響を残しています。

ブルネレスキの業績には、他の建築作品、彫刻、数学、工学、船の設計まで含まれており、主要な作品はフィレンツェにあります。

ブルネレスキは5人家族で、公務員の父親と、母親と2人の兄弟がいます。家族はとても裕福で、当時住んでいたスピニ家の宮殿は、フィレンツェのトリニタ教会の向かいにまだ存在しています。ブルネレスキは子供が居なかったため、1415年にアンドレア・デ・ラザロ・カヴァルカンティを養子にしており、彼はブルネレスキの唯一の相続人となります。

ブルネレスキは、1446年に69歳で亡くなります。

2.建築家 フィリッポ・ブルネレスキによる古代の再発見

初期ルネサンス期は、古代ローマの栄光が当時の人々の人気の話題であり、古代ギリシャと古代ローマの文化への強い関心が現れて時期です。

芸術的にはビザンチン美術が大部分を占めていた中世の静的なスタイルから、グレコローマンの芸術を重視し始めました。

しかし、当初この動きは、視覚芸術ではなく少数の学者、作家、哲学者に限定されていました。ブルネレスキは、ローマに住む友人であった彫刻家ドナテッロを訪問し、ドナテッロとブルレス機は古代遺跡の研究を始めます。ドナテッロは、ブルネレスキと同様に金細工師として訓練を受けており、関心を共有していました。

ブルネレスキとドナテッロまで、古代ローマ遺跡の物理的な構造を詳細に研究した人はほとんどいませんでした。ブルネレスキの古代ローマ建築の研究は、光の取り入れ方まで含めたブルネレスキの建築設計の特徴的要素に大きな影響を与えています。

ブルネレスキは古代ローマ時代の遺跡の調査の過程で、直線的な遠近法のシステムを開発したと推測されています。

しかし、当時のフィレンツェでブルネレスキが行ったプロジェクトの数とローマにおける貧困と安全性の欠如を考えると、こうしたローマ訪問へ疑問を呈する歴史家もいます。

2.建築家 フィリッポ・ブルネレスキ代表作 紹介

1419起工 捨子保育院(スペダーレ・ディ・サンタ・マリーア・デッリ・イノチェンティ)

ブルネレスキの最初の建築は、捨子保育院(スペダーレ・ディ・サンタ・マリーア・デッリ・イノチェンティ)です。捨子保育院はブルネレスキが所属していたシルク商人のギルドから資金提供されて運営されていました。

この建築プロジェクトは、他のプロジェクトと同様に他の建築家によって大幅に変更されてかなり後に完成しました。

ブルネレスキによって設計された主要な部分は、9つのアーチを備えたアーケード(中央の9スパンと両端の1スパン分がブルネレスキによって設計でその外側は増築)です。このアーケードは、コリント式の細長い柱、丸みを帯びたアーチ、シンプルな古典的な装飾で構成され、長い間ヨーロッパのルネサンス様式の建物のモデルになりました。

アーケードによるファサードは、フィレンツェのサン・ジョヴァンニ洗礼堂、サンティ・アポストーリ聖堂、サン・ミニアート・アル・モンテ聖堂といったロマネスク建築を想起させます。

アーケードは柱間と奥行きが約5.37m、柱頭までの高さが約5.35mで、比例1:1:1の立方体を連続させており、柱頭から頂部までの高さが、柱間の1/2です。こうした柱間を基準とするモデュールによって構成されている点が特徴です。コーニス、アーキトレーヴ、柱、リブ等の線的要素が、のっぺりとした白い漆喰の立面を縁取っており、これが強い抽象性を感じさせるデザインとなっていることも特徴です。

また、ファサードにある意匠上の誤りについても有名です。それは、水平材であるアーキトレーヴの端部です。ここは、サン・ジョヴァンニ洗礼堂から引用したという説があり、アーキトレーブが垂直に曲がり柱がずれて配置されています。ここをブルネレスキは洗礼堂の唯一の誤りと述べています。

ここからも、ブルネレスキが古代建築物を調査して、アーキトレーヴと柱という完成性をしっかりと認識し、支えられるものと支えるものという構造的な関係性を建築に取り入れようとしていたこともわかります。

1419起工 捨子保育院(スペダーレ・ディ・サンタ・マリーア・デッリ・イノチェンティ) 建築家 フィリッポ・ブルネレスキ

1420起工 サンタ・マリーア・デル・フィオーレ大聖堂のクーポラ/フィレンツェ大聖堂(1434s竣工)

サンタマリア・デル・フィオーレは、1296年に始まったフィレンツェの大聖堂であり、まさにフィレンツェ共和国の象徴です。最初の建築家アルノルフォ・ディ・カンビオの死後50年間工事が中断されましたが、鐘楼が1330年にジョットによって追加されました。

そして1334年から1366年の間にドームの計画を立てましたが、土台から上部までのドームの高さは80メートルを超え八角形の土台の直径はほぼ42メートルでした。この大きさのドームは、当時古代のパンテオンやヨーロッパの他のドームよりも大きく、今までそのサイズのドームは作ることができませんでした。

1418年に実施された実施設計を担当するコンテストで、ドナテッロのスケール・モデルの助けを借りてブルネレスキが選ばれます。バットレスは禁止され足場用の垂木を入手することは不可能だったため、このサイズのドームを自重で崩壊せずに構築する方法は不明でしたが、ブルネレスキは2つのドームを相互に構築することにより解決します。

1420起工 サンタ・マリーア・デル・フィオーレ大聖堂のクーポラ/フィレンツェ大聖堂(1434s竣工) 建築家 フィリッポ・ブルネレスキ

このブルネレスキの成功は、彼の技術・数学の天才的ひらめきにに帰することができるでしょう。その後、パリのアンヴァリッドやワシントンのアメリカ合衆国議会議事堂など、主要なドームがこの方式で作られることになります。

外側のドームは内側のドームを雨から守り、より高く雄大な形を可能にしました。ドームのフレームは、水平および垂直の28個の大理石のリブで構成されており、そのうち8個は外側からも見ることができます。外側のドームは内側のドームの構造によって支えられているため、外側に見えるものはほとんど装飾といってよいでしょう。この2つのドームの間にある狭い階段によって、上部のランタンまで上っていくことができます。

ブルネレスキは休憩時間に労働者を建物内に留め、当時妊婦に与えられていたのと同様の食事と希釈ワインを彼らに届けたと言われています。それほど、この施工は過酷なもので何百もの階段を上下に移動させずに生産性を上げる工夫がされたそうです。

1420起工 サンタ・マリーア・デル・フィオーレ大聖堂のクーポラ/フィレンツェ大聖堂(1434s竣工) 建築家 フィリッポ・ブルネレスキ

1425起工 サン・ロレンツォ聖堂(1480s竣工)

サン・ロレンツォ大聖堂は、ブルネレスキが捨子保育院を始めた直後に着手しました。メディチ家が後援する、フィレンツェで最大の教会でした。

後にミケランジェロを含む数人の建築家の作品として結実します。ブルネレスキが担当した部分は中央の身廊で、両側に2つの側副身廊が小さな礼拝堂と隣接しており、古い聖所がありました。

中央のドームの下に非常にシンプルな装飾が施されたジョヴァンニ・ディ・ビッチデ・メディチとその妻の墓があります。フォームは非常に単純です。礼拝堂は、半球形のドームで覆われた、両側が約11メートルの立方体です。

垂直方向のスペースを2つの部分に分割し、ピラスターがドームを支えています。祭壇は、小さなドームの下の一端にあるくぼみに設置されています。天井のアーチはすべて、壁に設置された古典様式の柱によって支えられています。クラシックな要素をまったく独自の方法で使用したこの部屋は、最初のルネサンス建築の空間といえます。

身廊では、ゴシック建築の巨大な柱がコリント式の細い柱に置き換わり、中央の身廊の伝統的なアーチ型の天井は、繊細な金色の装飾が施された正方形のコンパートメントの格天井です。低い礼拝堂とはるかに高い身廊の間の高さの違いを強調し、機能に沿った調和とバランスを与えています。

後にルネサンス建築の典型となったブルネレスキの重要な実践のひとつは教会での白い壁の使用でした。ルネサンス芸術の理論家であるレオン・バティスタ・アルベルティは、寺院や教会に適した色は白だけであり純粋さとシンプルさを表していると、プラトンを引用しながら解説しています。

1425起工 サン・ロレンツォ聖堂(1480s竣工)  建築家 フィリッポ・ブルネレスキ

3.建築家 フィリッポ・ブルネレスキの書籍 紹介

Brunelleschi: Studies of His Technology and Inventions

MITより1970年に出版されたブルネレスキに関する書籍で、文章、内容ともに充実しています。少々高いですが、この書籍をからはブルネレスキの類まれなる技術者としての側面がよくわかります。ブルネレスキを知るためにオススメの一冊です!

If, as his admirers believe, Filippo Brunelleschi singlehandedly achieved the Renaissance in Tuscan architecture, the authors of this book inquire by what human powers and in what historic way he managed to accomplish this feat, and to what extent such attribution is valid. In tackling such a controversial figure, Prager and Scaglia try to determine on a comprehensive basis authentic facts about Filippo and his work: his position in technology, art, economy, and history. The book examines Brunelleschi’s work as builder of Santa Maria del Fiore–his answers to questions left open by Italian cathedral builders of the preceding century. It explores, so far as the record allows, what instruction he received from Gothic masters of the Trecento and from Classic masters of Rome. Brunelleschi’s Cupola work, the authors observe, synthesized elements from both styles, solved the static problems he inherited, and foreshadowed modern principles of construction.The first part of the book considers Brunelleschi’s “masonry” inventions (the masonry model, the invention of vaulting without armature, inventions relating to the Cupola structure, Filippo as structural engineer). The second part deals with Brunelleschi’s mechanical inventions (the history of his machinery concepts, Filippo as patentee and contractor, his comments on problems of inventors and builders). The authors discover Brunelleschi’s building achievements to be more creative and his personality more corrosive than his critics have indicated. They find him a remarkable engineer who worked outstandingly in one architectural style while laying the foundations for another and who devised mechanical systems for delivery, hoisting, and placing building materials, which allowed him to build with speed and with safety.The book also notes such sidelights as Brunelleschi’s reactions to Ghiberti the sculptor, Acquettino the writer, and Cosimo de’Medici the statesman, how he dealt with numerous stonemasons, carpenters, blacksmiths, cartwrights, ox drivers, and boatmen, and how he appeared to contemporaries: the guild consuls for whom he worked, Toscanelli the mathematician, Taccola the notary-artist-engineer of Siena, Alberti the architect-philosopher, and Francesco de Giorgio, painter of madonnas and builder of fortresses in a subsequent generation.Frank D. Prager is a patent attorney whose interest in patents and patent history led him to examine patents for construction techniques, construction machinery, and hauling and transporting machinery, granted to Brunelleschi when he built the Florentine cathedral dome. Prager’s extensive analysis of these patents in connection with extant drawings greatly illumines early Renaissance architectural practice and construction, while Gustina Scaglia’s studies of manuscript illustrations allows us to see which mechanical inventions were repeatedly redrawn and transferred from architect to architect. Their study is a fruitful union of work in the history of science and technology and in the history of artists and art that should provide unusual insights for architects, engineers, historians, and students of the Renaissance.

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4.まとめ

建築家 フィリッポ・ブルネレスキは、ルネサンス建築を代表する建築家のひとりです。まさに、ルネサンス建築の最初期の建築家と言えます。多くの現存する作品はフィレンツェにありますので、一気に見に行ける点も良いですね。何度行っても学ぶべきものがあります。また、ローマ研究者としてのブルネレスキを知ると、どうやってルネサンス建築が出来たのかわかるので面白いですね!

注意説明 公共建築以外の場所の特定は行っていません。個人の所有物である住宅は、場所の特定をしないように配慮しております。ご了承くださいませ。

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