建築家 ヘリット・リートフェルトは、オランダのユトレヒト出身の建築家です。世界遺産に登録されているシュレーダー邸の設計者として有名です。
本記事の内容
本記事では、建築家ヘリット・リートフェルトの略歴、代表作、書籍を紹介したいと思います。建築家ヘリット・リートフェルトは、シュレーダー邸が有名ですが、レッドアンドブルーチェアやジグザクチェアなど家具デザイナーとしても有名です。ジグザクチェアは、今もカッシーナから正規品が出ています。興味があれば見てみましょう!
目次
- 建築家 ヘリット・リートフェルトの略歴
- 建築家 ヘリット・リートフェルトの作品
- シュレーダー邸
- レッドアンドブルーチェア
- ジグザグチェア
- 建築家 ヘリット・リートフェルトの書籍 紹介
- まとめ
1.建築家 ヘリット・リートフェルトの略歴
建築家 ヘリット・リートフェルトは1888年にオランダのユトレヒトで生まれました。父は家具職人で11歳に父親の弟子となり、夜間の学校に通いました。
転機は1917年に自身の家具工房を開くことから始まります。1917年に有名なレッドアンドブルーチェアを組み立てます。しかし、この時はまだ特徴的な色は塗られていませんでした。彼は、家具の大量生産を目指していたため、構造の簡素化を目指してあのデザインにたどり着いたのです。
1918年にモンドリアンらと芸術運動デ・ステイルに参加します。ここの活動を通して、建築家、デザイナーとして活躍の糸口を見つけます。また、ヴァルター・グロピウスやエル・リシツキーなどとも知り合いになります。
1924年に所有者のトゥルース・シュレーダー夫人と協力しシュレーダー邸を完成させます。この家は1階は通常の間取りですが、2階部分は固定壁がなくて移動壁で仕切る構造が当時は斬新で、とても有名です。
2000年からユネスコの世界遺産に登録されています。ツアーガイド付きで内部が見られるので、ぜひ行ってみましょう。
2.建築家 ヘリット・リートフェルトの代表作 紹介
シュレーダー邸
リートフェルト設計のシュレーダー邸は1924年に竣工しました。デ・ステイルのスタイルを代表する作品です。
夫を亡くした後、シュレーダー夫人が3人の子供たちと住むために建てられました。そして、建築した後は、1932年までリートフェルとの設計事務所もここにありました。
外観は、モンドリアンの抽象画を建築化したかのような印象で、新造形主義にもとづいて、白・赤・黄・青などの正方形や直線によって構成されています。
構造は当時通常の様式であった煉瓦造であり、床と屋根は木造です。しかし、2階部分の一室空間を維持するために、H型鋼と鉄筋コンクリートも使われています。
2階が特徴的で、間仕切りは可動式なので移動させると1つの広い部屋として使うことができます。
シュレーダー夫人は1985年に亡くなるまで、この邸宅で生活を送りました。現在は、ミュージアムとして見学可能です。
レッドアンドブルーチェア
1917年にリートフェルトによって基本形が設計されました。この椅子はブナの木でできていて、1923年まで塗装されていなかったようです。
なぜわかったかというと、フィリップ・ジョンソンがMoMAに椅子のコレクションを収めて時に書いてあったそうです。そのため、実際には、あの特徴的な色がいつ塗られたのかは定かではありません。
リートフェルトは、椅子の足の部分を黒く塗っています。これは、シュレーダー邸の2階に設置した時に、シュレーダー邸の黒い床と同化することをめざしたそうです。つまり、下部が黒で同化することで、端部の黄色、座面の青、背もたれの赤の部分がまるで浮いて見えるような効果を意図したと言われています。
なるほど、そう考えるとレッドアンドブルーチェアの色の仕組みもわかりますし、単独ではなくシュレーダー邸と一体のデザインだったのかもしれません。
ジグザグチェア
ジグザグチェア(Zig Zag Chair)は、1934年にリートフェルトが設計しました。
ジグザグチェアは4つの平らな無垢板がダブテールジョイントを使用してZ字型に結合され、脚のない最小限のデザインが特徴です。
この椅子もシュレーダー邸のために設計されました。やはりリートフェルトにとっては全てのデザインの源にシューレーダー邸があるのがわかります。
3.建築家 ヘリット・リートフェルトの書籍 紹介
GA No.68〈ヘリット・トーマス・リートフェルト〉シュローダー邸1923-24
GAのシュローダー邸の特集です。リートフェルトを知るには、まずこの一冊から始めると良いと思います。GAだけあって、写真も充実しています。
4.まとめ
建築家ヘリット・リートフェルトは、オランダの近代を代表する建築家です。当時の様々な思想的な取り組みと近代的生活へ挑戦が代表作であるシュレーダー邸に結実しています。初期作にして最高傑作です。シュレーダー夫人との出会いも運命的なものだったのでしょう。まさか、世界遺産になるとは思ってもみなかったと思います。建築における「住宅の力」の強さを感じます。