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建築家 ヨーゼフ・ホフマンを知ろう! 世紀末ウィーンの建築家

建築家ヨーゼフ・ホフマン

世紀末のウィーンは、建築、家具、絵画などの分野で多くの稀有な芸術家を輩出しています。ヨーゼフ・ホフマンもそのひとりです。ウィーン分離派の中心人物の一人であり、ウィーン工房というデザイン集団を主宰しました。

学生
先生、なんかすごいモダンなコップを見つけました。復刻版みたいです。
ヨーゼフ・ホフマン: シリーズB シャンパングラス
建築の先生
なるほど、そこからきましたか。これはヨーゼフ・ホフマンというウィーンの建築家・デザイナーがデザインしたコップですね。ヨーゼフ・ホフマンは建築という範囲に収まらない、家具、食器、内装なども手がけた大デザインなーですよ。よーし、それでは今日は、ヨーゼフ・ホフマンについてちょっと勉強してみましょう!

本記事の内容

本記事では、ヨーゼフ・ホフマンの略歴、代表作、書籍を紹介したいと思います。また、代表作には実際に足を運びやすいように地図を添付しておきます。是非とも行ってみましょう。実際の建築空間は、図面で見るのと行ってみるのでは大きく違います。イメージを持って足を運んで、イメージと同じところと違うところを比べてみてください。

I think about …

私は、ウィーンの世紀末芸術が好きです。ウィーンの世紀末の芸術家で最初に思い浮かぶのは誰ですか?多分、クリムトではないでしょうか。クリムトは、日本では「接吻」の絵で良く知られています。絵の具に金粉を混ぜて、ゴージャスなイメージの絵の印象が強いと思います。実は良く知られているクリムトの絵は、依頼されて描いたものが多いのですよ。お仕事だったのですね(当たり前か)。クリムトは、自分のアトリエでは風景画も描いていました。いわゆるクリムト風の絵とは印象がかなり違います。私は風景画の方が好きかもしれません。

話はそれましたが、ヨーゼフ・ホフマンは、そのクリムトよりも8才年下です。同時代の人ですね。クリムトと一緒に、ウィーン分離派を立ち上げた、世紀末を代表する芸術家の一人です。この時代の人は、建築、内装、家具、キッチンウェアなど、一つのカテゴリーに収まらない人が多いです。ヨーゼフ・ホフマンもそのスーパーデザイナーの一人です。

目次

  1. 建築家 ヨーゼフ・ホフマンの略歴
  2. 建築家 ヨーゼフ・ホフマンの代表作 紹介
  3. 建築家 ヨーゼフ・ホフマンの書籍 紹介
  4. 建築家 ヨーゼフ・ホフマンの建築 作品リスト
  5. まとめ

1.建築家 ヨーゼフ・ホフマンの略歴

静岡県で1925年生まれ。

1870年、チェコ生まれ。当時は、オーストリア=ハンガリー帝国。

ブルトニツェで生まれ育ち、国立工芸学校を卒業。ウィーン芸術工芸学校(The Academy of Fine Arts Vienna:ウィーン芸術アカデミー)に進学して、オットー・ワーグナーの元で学ぶ。オットー・ワーグナーは当時の1894年にウィーン芸術工芸学校の教授になっており、当時は53歳、ホフマンは24歳である。

ワーグナーのところで、ウィーン分離派の中心人物となる、ヨーゼフ・マリア・オルブライヒと出会う。1897年に画家のグスタフ・クリムトがウィーン分離派を立ち上げて、ホフマンとオルブライヒも加わる。ウィーン分離派の本拠地であるセセッション館の内装を手掛ける。その後、ウィーン分離派の方針の対立によりオルブライヒ、クリムト、ワーグナーも一緒に1905年に脱退する。

1903年に、コロマン・モーザーらとウィーン工房を立ち上げる。1906年には、プーカースドロフのサナトリウムが竣工する。ホフマンの初期の傑作の一つである。その後、ベルギーで金融業を営むアドルフ・ストックレーのための私邸(ストックレー邸)を1905年から1911年にかけて設計・建設する。1912年にオーストリア工芸連盟を立ち上げる。1932年にウィーン工房は解散。1936年にウィーン芸術工芸学校を退官。

1956年死去(86歳)

主な建築作品としては、プーカースドロフ・サナトリウム(1904-1905)、ストックレー邸(1905-1911)などがある。

2.建築家 ヨーゼフ・ホフマンの代表作 紹介

プーカースドロフ・サナトリウム(1904-1905)

当時結核は不治の病であり、結核患者の療養のために多くのサナトリウムが作られた。ウィーン・ウンゲブルグ州にプーカスドロフ・サナトリウム(The Sanatorium Purkersdorf)もそのひとつである。

1904年にヨーゼフ・ホフマンによっての設計された。実業家ビクター ズッケルカンドル(Victor Zuckerkandl)の依頼によって建設されたものである。

当時は、産業革命による大規模工業化が進展していた時代であり、不衛生な場所で多くの人が働く仕事場は、結核菌の流行が起こりやすかった。そのため、サナトリウムの建設による従業員への福利厚生施設の提供はヨーロッパ各地で行われていた。

デザインは直線軸とシンメトリーが特徴であり、ウィーン分離派のデザインを継承している。

By derivative work: Alberto Fernandez Fernandez (talk)Sanatoriumpurkersdorf1.JPG: Roman Klementschitz, Wien – Sanatoriumpurkersdorf1.JPG, CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=5769211
By Roman Klementschitz, Wien – own work / eigene Aufnahme, CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1917789
By Thomas Ledl – Own work, CC BY-SA 3.0 at, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=35673932
By Thomas Ledl – Own work, CC BY-SA 3.0 at, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=35624255

ストックレー邸(1905-1911)

ストックレー邸は、ベルギーで金融業を営むアドルフ・ストックレーのため私邸として、1905年から1911年にかけて建設された。

ストックレーは鉄道の仕事でウィーンを定期的に訪れていた際に、ホフマンと出会い、直線を軸にした前衛的なデザインを気に入ってホフマンに設計を依頼した。その際には、予算や建築計画(Plan)についてもホフマンに一任したと言われている。

ホフマンはウィーン工房の全精力をストックレー邸に注ぎ込んだ。内装は、クリムトらが手掛けている。銀食器、シャンデリア、テーブル、壁装飾など、設計は目に見えるものは全てに及んだといってよい。

ウィーン工房は、芸術家と職人の結びつきから、生活の全てをデザインする新しい総合芸術の世界を構築した。その集大成としてのストックレー邸は、当時のアールヌーボー様式から離れて、直線を基調とした新しいデザインが存分に活かされている。設計を始めた1905年から考えると、1925年のパリ万国装飾美術博覧会から隆盛を得たアール・デコ様式に先駆けること20年であり極めて先進的なデザインであったといえる。

Par Busoni — Travail personnel, CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=28693322
Par Busoni — Travail personnel, CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=28693326

3.建築家 ヨーゼフ・ホフマンの書籍 紹介

ヨーゼフ・ホフマンに特化した日本語書籍で手に入る本はほとんどない。ここではウィーン出身の建築家や、ウィーン分離派の特集を含んだ本や雑誌を紹介します。また、より詳細に知りたい人のために洋書を紹介します。

Josef Hoffmann: Sanatorium Purkersdorf

プーカスドロフ・サナトリウム(The Sanatorium Purkersdorf)の作品集。プーカスドロフ・サナトリウムだけにフォーカスした重要な一冊である。

book Sanatorium Purkersdorf

A+U 2014年6月号 ウィーン ―思考と表現の変遷

ウィーンという場所の建築群を網羅的に紹介している重要な一冊である。これさえもっていれば、ウィーンの建築巡りをするのに困ることはない。ヨーゼフ・ホフマンのプーカスドロフ・サナトリウムについてもこの中で紹介されている。

A+U ウィーン―思考と表現の変遷
  • 出版社: 株式会社エー・アンド・ユー; 月刊版 (2014/5/27)
  • 言語: 日本語, 英語
  • ASIN: B00JXQU95I
  • 発売日: 2014/5/27

4.建築家 ヨーゼフ・ホフマンの建築 作品リスト

建築作品名竣工所在地備考
Double House for Koloman Moser and Carl Moll1900-1901  Vienna 
Sanatorium Purkersdorf1904 Vienna 
House for the writer Richard Beer-Hofmann1905–1906 Vienna 
Palais Stoclet 1905–1911Brussels 
Interior decoration of Kabarett Fledermaus1907Vienna 
Ast Residence1909–1911Vienna 
Skywa-Primavesi Residence1913–1915  
Country house for Otto Primavesi1913–1914Kouty nad DesnouDestroyed by fire in 1922
House for Sigmund Berl1919-1924Bruntal 
Villa for Fritz Grohmann1920-1921Vrbno pod Pradedem 
Urban Klosehof Housing Complex1923–1925   
Villa Knips1924-1925Vienna 
Four row houses for the Viennese Werkbund’s settlement1930–1932  
Austrian pavilion at the Venice Biennale1934  

5.最後に


ヨーゼフ・ホフマンの建築は、その後の近代建築にも大きな影響を与えました。アール・ヌーヴォーが全盛の時代にあって、生活を中心とする新たな総合芸術の分野を立ち上げて実践して見せた建築の枠を超えたスーパーデザイナーです。建築だけでなく、デザインという分野に興味のある人は、是非ウィーンに行ってみてくださいね。


注意説明 公共建築以外の場所の特定は行っていません。個人の所有物である住宅は、場所の特定をしないように配慮しております。ご了承くださいませ。
ストックレー邸

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すむことコム管理人 シミズ
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