建築家ロバート・ベンチューリは、米国のフィラデルフィア出身の建築家です。近代建築への痛烈な批判を行ったことでも有名です。特に母の家は必見です。
本記事の内容
本記事では、建築家ロバート・ベンチューリ略歴、代表作、書籍を紹介したいと思います。建築家ロバート・ベンチューリは、フィラデルフィア出身で、エーロ・サーリネンやルイス・カーンの事務所にも勤めています。しかし、その視線は、冷徹に時代の先を見ていたのです。カーンのあとを継ぐようにフィラデルフィアのペンシルバニア大学で教職になりましたが、近代建築の批判の急先鋒です。また、その理論面も実に緻密です。しかし、建築には、そうした緻密さと遊びが同居しているようで面白いです。
目次
- 建築家 ロバート・ベンチューリの略歴
- 建築家 ロバート・ベンチューリの代表作 紹介
- 1963 母の家
- 1963 ギルド・ハウス
- 1991 セインズベリー・ウイング
- 建築家 ロバート・ベンチューリの書籍 紹介
- まとめ
1.建築家 チャールズ&レイ・イームズの略歴
建築家ロバート・ベンチューリは、1925年に米国のフィラデルフィアで生まれました。両親はクエーカー教徒だったそうです。1947年にプリンストン大学を卒業し、1951年からエーロ・サーリネンの事務所で働き、その後フィラデルフィアでルイス・カーンの事務所で働きました。ロバート・ベンチューリは1954年にアメリカンアカデミーからローマ賞のフェローシップを授与され、2年間ヨーロッパで建築の研究を行います。1959年から1967年まで、ロバート・ベンチューリはペンシルベニア大学でルイス・カーンのティーチング・アシスタント、インストラクター、准教授を務めました。その後、エール大学やハーバード大学のデザイン大学院でも教職を務めました。
ロバート・ベンチューリは、1950年代の軽快な機能主義的なモダニズムに対して、象徴的には空虚な建築だと疑問を呈した最初の建築家の1人でした。彼は1966年に、『建築の多様性と対立性』というマニフェストを発表しました。これは、建築史家のヴィンセント・スカーリーによると、ル・コルビュジエの「建築へ」以来の建築の作成に関する最も重要な書と言いました。
内容はペンシルベニア大学でのコース講義から派生したものであり、よく知られた建築家であるミケランジェロやアルヴァ・アアルトだけでなく、フランク・ファーネス、エドウィン・ルティエンスなどの当時忘れられていた建築家の事例を示して、建築の構成と複雑さを理解するためのアプローチを考察しています。ロバート・ベンチューリは、建築の分析において図表形式ではなく、「困難な全体」という新しい視点を導入し、ロバート・ベンチューリ自身の作品の例も組み込みました。
ロバート・ベンチューリが1968年にエール大学で行ったスタジオ授業では、スコット・ブラウンと一緒にラスベガスを調査しました。この成果は1977年に『ラスベガス』という本にまとまったことで、伝説的な授業となっています。「あひる」と「装飾された小屋」という用語は有名です。
ベンチューリの初期の建物は、現在の建築に驚くほどの影響を与えました。1960年代後半の、ベンチューリの母の家による近代建築への切妻屋根の普及、アーチ型の窓、オハイオ州オバーリン大学のアレン記念美術館のファサードの模様、装飾的でありながら抽象的な建物の垂直面の扱いなどです。また、こうしたベンチューリの作品は、レム・コールハース、マイケル・グレイブス、グラハム・ガンド、ジェームズ・スターリングなどにも重要な影響を与えています。
2018年に逝去します。
2.建築家 ロバート・ベンチューリの代表作 紹介
1963 母の家
建築家ロバート・ベンチューリの「母の家」は、1963年に竣工です。母親のヴァンナ・ベンチューリのための家です。ヴァンナはイタリアの移民の両親に生まれ、フェミニスト、平和主義者、菜食主義者であり、またクエーカー教徒でした。
ヴァンナは1924年に結婚し、ロバートは1925年に生まれました。家族は夏にアーデン、デラウェア、ペンシルベニア州ローズバレーに行ったそうです。ロバート・ヴェンチューリはクエーカーの小学校に通い、そして後にプリンストン大学に通い、学士号と修士号の両方を取得しました。1959年に父親がなくなり、ヴァンナは自身の家を建ることになり、ロバートが家のデザインは4年にわたって行いました。
ヴァンナは、すべての日常業務を1階でできるように要求したそうです。よって、最初のフロアプランには、家のすべてのメインルームが含まれます。マスターベッドルーム、フルバスルーム、管理人の部屋、キッチン、リビング/ダイニングエリアです。ロバート・ヴェンチューリの部屋は2階を占めていました。2階には、大きなルネットウィンドウ、専用バルコニー、階段の踊り場にある半風呂付きの寝室/スタジオがあります。広いサイドポーチと十分な収納スペースのある地下室があります。
ロバートは1967年にデニス・スコット・ブラウンと結婚した後、数か月は母の家に住みました。ヴァンナは、1964年から1973年まで家に住み、1973年に老人ホームに移り1975年に亡くなりました。
その後この家は、1973年に売却され、さらに2016年に転売されています。
デザインの基本要素は、標準的なモダニスト建築要素に対する反意です。平らな屋根ではなく傾斜屋根、中央の囲炉裏と煙突に重点を置いたこと、モダニストの柱ではなく地面にしっかりと設置されて閉じた壁などです。また、正面は、破れたペディメントや切妻と純粋に装飾的なアップリケアーチが、マニエリスム建築への回帰とモダニズムの拒否を示しています。この家は正式なモダニズムの美学を混乱させ、価値観の矛盾を露呈させるために設計されたといってよいでしょう。つまり、近代建築からの直接の脱却です。
家の敷地は平らで、長い車道が通りにつながっています。ベンチュリは家の平行な壁を、通常の軸に沿った配置ではなく、私道で定義されたサイトの主軸に垂直に配置しました。通常、切妻は家によって形成された長方形の長辺に配置され、背面に対応する切妻はありません。
煙突は2階の中央に配置された部屋によって強調されていますが、実際の煙突は小さく、中心から外れています。その効果は、小さな家の規模を拡大し、ファサードを記念碑的なように見せることです。このスケール拡大効果は家の側面と裏側には引き継がれないため、家は見る角度のよって大きくも小さくも見えます。
暖炉の煙突と階段の2つの垂直要素が、中央にあります。これらの要素は、階段は本質的に固体で、煙突は本質的に空であり、またその形状と位置を取り合っています。つまり、ふたつの要素が構成する中心コアの二重性を統合するために、曲がりくねっています。暖炉の片側では階段は煙突と同様に形がゆがんで、反対側では階段が煙突のせいで突然その幅を狭め通路をゆがめます。
さらに、スケールの矛盾や家には不適切ではない設備として、2階から存在しない3階に行くように見える階段があります。この階段はどこにも行き場がなく、気まぐれともいえるものです。それは、別の角度で見ると、高い窓を洗って聖職者を描く壁のはしごのようなものともいえます。この母の家は意図的な正式な建築的、歴史的、そして審美的なの正当性の矛盾を内包させて建設されました。
この母の家があるチェスナット・ヒルは、フィラデルフィアの北西部に位置する住宅街です。 18世紀初頭に住宅建築が始まり、当時の石造りの建物がまだ多く残っています。 19世紀後半には、この地域に多くのビクトリア朝の邸宅が建てられました。1885年に建築家ヒューイットによって建てられたヒューストン・ソバール・ハウスは、母の家のすぐ近くにあるビクトリア様式の邸宅の1つです。また、近代建築には、ルイス・カーンのエシェリック・ハウスがあります。
1963 ギルド・ハウス
ギルドハウスはロバート・ベンチューリの初期の作品です。低所得の高齢者向けのアパートメントであり、地元のクエーカー団体から委託され、1963年に完成しました。 2004年にフィラデルフィア歴史登録リストに追加されました。
建物の外観は、歴史的な形態とヴェンチューリが言う「陳腐な」20世紀の商業主義を組み合わせており、「見かけの平凡さ」の背後に「陰険な知的議題」を隠しています。既存の公共住宅プロジェクトを想起させるために赤い粘土レンガとヴェンチューリが言う「不潔な」二重吊り窓を使用しています。対称的なファサードを備えた6階建ての建物で、クラシックで秩序立った巨大なエントランス外に向かっています。
ベンチュリは、先に述べた「装飾された小屋」を利用してギルドハウスを説明しています。
「ギルドハウスでは、装飾的な象徴的な要素は多かれ少なかれ文字通りアップリケのようなものです…装飾の象徴はたまたま醜くも普通であり、皮肉にも英雄的で独創的であり、小屋はまっすぐで醜く、そして普通です。また、レンガの中にある窓も象徴的です。」
1991 セインズベリー・ウイング
ベンチューリ&スコットブラウン・アソシエイツが1991年にシェパード・ロブソン・アーキテクツと共同でロンドンのトラファルガー・スクエアに建設しました。セインズベリーウィングは、ナショナルギャラリーと接続しています。
オリジナルのファサードの要素が複製され、対照的な要素と一緒に使用されて、革新的なリズムが生まれています。内部には、ギャラリー、会議室、レストラン、350席のレクチャーシアター、拡張されたミュージアム・ショップ、情報センターがあります。
3.建築家 ロバート・ベンチューリの書籍 紹介
建築の多様性と対立性 (SD選書174)
ロバート・ベンチューリといえば、まずこの一冊!
1923年のル・コルビュジエの著作「建築をめざして」以来、建築に関する著作の中で最も重要なものと位置づけられている本署は、近代建築運動の純粋主義に対し、いち早く多様性と対立性を賞揚したヴェンチューリの力作であると同時に、建築界の大きな財産でもある。建築を学ぶ人々の必読の書。
Amazonより
4.まとめ
建築家 ロバート・ベンチューリは、米国を代表する建築家です。特に、母の家は有名で、行ったことある人も多いのではないでしょうか。以前に住んでいた人は、オリジナルを保っていたそうですが、新しいオーナーはどうなんでしょう?近代建築への批判を行った金字塔です。内部を見てみたいですね!