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建築家 ミケランジェロ・ブオナローティを知ろう!カンピドリオ広場など

建築家 ミケランジェロ・ブオナローティは、1475年にフィレンツェ共和国で生まれました。建築家、彫刻家、画家でありルネッサンス期を代表する芸術家です。ここでは、建築家としてのミケランジェロについて見てみます。

本記事の内容

本記事では、建築家 ミケランジェロ・ブオナローティの略歴、代表作、書籍を紹介したいと思います。建築家 ミケランジェロ・ブオナローティは、1475年のルネッサンス期にフィレンツェ共和国で生まれ、その後の西洋芸術に大きな影響を与えた芸術家です。多くの作品が現存しており、また生前に伝記が出版されたため、この時期では稀に見る多くの資料が残る人物です。ここでは、特に有名な建築作品について見てみます。

目次

  1. 建築家 ミケランジェロ・ブオナローティの略歴
  2. 建築家 ミケランジェロ・ブオナローティの代表作 紹介
    • 1517- メディチ・リッカルディ宮殿の改良
    • 1518-1520 サン・ロレンツォのファサード
    • 1520-1534 メディチ家礼拝堂新聖具室
    • 1523-1559 ロレンツォ・メディチ図書館
    • 1536-1546 カンピドリオ広場
    • 1546- ファルネーゼ宮殿
    • 1546- サン・ピエトロ大聖堂
    • 1561- サンタマリア・デッリ・アンジェリエ・デイ・マルティリ
    • 1561-1565 ポルタ・ピア
  3. 建築家 ミケランジェロ・ブオナローティの書籍 紹介
  4. まとめ

1.建築家 ミケランジェロ・ブオナローティの略歴

建築家 ミケランジェロ・ブオナローティは、1475年にフィレンツェ共和国で生まれました。

正式な名前は、ミケランジェロ・ディ・ロドビコ・ブオナローティ・シモーニといい、通常は単にミケランジェロと呼ばれています。

西洋美術の発展に比類のない影響力を発揮したルネサンス期の建築家、詩人、画家、彫刻家です。ミケランジェロの芸術の多様性は、同じフィレンツェ人であったレオナルド・ダ・ヴィンチとともに世界的に極めて有名です。

ミケランジェロの絵画、彫刻、建築の作品の多くが現存しています。残っている書簡、スケッチ、回想の膨大な量を考えると、ミケランジェロは16世紀で最も様々な媒体に記録が残されたされたアーティストといえます。

初期の有名な作品として、ミケランジェロは30歳になる前に、ピエタとダビデという2つの有名な作品を彫刻しました。

その後、ミケランジェロは絵画に対しては比較的低い見方を持っていたにもかかわらず、西洋美術の歴史の中で最も影響力のある2つのフレスコ画を作成しました。それは、ローマのシスティーナ礼拝堂の天井にある創世記のシーンと、祭壇の壁にある最後の審判です。

初期の建築としては、ロレンツォ・メディチ図書館があります。ミケランジェロのデザインはマニエリスム建築の先駆者でした。

ミケランジェロが生まれたルネサンスの時代とは、古代ローマを規範する一連の芸術運動が勃興した時代です。その後、フィレンツェなどの都市国家が衰退し当初の理念は失われていきます。

その際に、古代ローマを規範する手法がさまざまに変形して使われていくことになります。古代ローマの要素を、変形させたり、組み合して、さまざま操作と引用を繰り返すという動きです。これが、マニエリスム建築です。現代建築でのポストモダン建築と似た雰囲気がありますね。

ミケランジェロは、生前に彼自身の伝記が出版された最初の西洋芸術家でした。ミケランジェロの生涯の間に2つの伝記が出版されました。ジョルジオ・ヴァザーリは、ミケランジェロの作品は、いままでのどのアーティストの作品よりも優れているとしています。

ミケランジェロは当時イルディヴィーノ(神のひとり)と呼ばれ、ミケランジェロの情熱的で非常に個人的なスタイルはその後の西洋芸術に大きな影響を与え続けました。

ミケランジェロ・ブオナローティは、1564年に89歳で亡くなります。

2.建築家 ミケランジェロ・ブオナローティ代表作 紹介

1517 メディチ・リッカルディ宮殿の改良(マージ礼拝堂)

1517年頃、ミケランジェロはメディチ・リッカルディ宮殿の1階で改修工事を行い、ヴィアロンガとヴィアデゴリの角に建設されたロッジア(ギャラリー)のアーチを閉じて、建物をより閉鎖的でよりコンパクトな建築に変更しました。

ミケランジェロ邸には、この宮殿のモデルに使用されたと思われる絵が残されています。

1517 メディチ・リッカルディ宮殿の改良  建築家 ミケランジェロ・ブオナローティ
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1518-1520 サン・ロレンツォのファサード

メディチ家は、1420年に始まったブルネレスキの設計によるフィレンツェのサン・ロレンツォ大聖堂の建設に資金を提供していました。 1515年の教皇レオ10世の訪問のとき、サン・ロレンツォ大聖堂のファサードはまだ実現されておらず、石造りの作品で作られた囲いだけがありました。そのとき、教会の未完成のファサードは仮の建造物で覆われていたそうです。

教皇はその後、メディチが後援するサン・ロレンツォ大聖堂のファサードのデザインコンペを開催することを決定しました。ミケランジェロは、このデザインコンペで勝利を収めファサードの設計者となりました。

ミケランジェロは木製の模型まで作りましたが、ついに完成するには至らず現在も未完成のまま残されています。

後述しますが、教皇レオ10世は若くして亡くなった甥であるウルビーノ公ロレンツォと弟ヌムール公ジュリアーノの墓廟をこのサン・ロレンツォの新聖具室としてミケランジェロに設計させており、そこは完成に至っています。

1518-1520 サン・ロレンツォのファサード 建築家 ミケランジェロ・ブオナローティ
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1520-1534 メディチ家礼拝堂新聖具室

1520年に教皇レオ10世の命によって、サン・ロレンツォにメディチ家礼拝堂新聖具室の建設が始まりました。ここはウルビーノ公ロレンツォと弟ヌムール公ジュリアーノの墓廟です。

ブルネレスキによって建てられた構造は、アーチとドームを介して連絡された幅の異なる2つの正方形で構成されていました。壁は滑らかで、この地域の灰色の石であるピエトラセレナでできたピラスターとモールディングで囲まれていました。

ミケランジェロはこの計画に新聖具室を適合させる必要がありました。そのため、ミケランジェロは墓と祭壇により多くのスペースを与えることができるように、ドームの中央部分を拡大しました。

ドアの上にブラインドウィンドウを配置し、ドームの横にある窓を台形の形にして、より大きな光を取り入れるように変更しました。

ドームは、ラジアルカセットの格間天井で作られています。これらのカセットはローマのパンテオンを模倣しています。極めて繊細な形であり幾何学による美しいデザインとなっています。

外側から見ると、ミケランジェロによって行われたサン・ロレンツォの変更の主な点は、瓦屋根の大きなドームと内部へ光を取り入れる大きな窓です。

1520-1534 メディチ家礼拝堂新聖具室 建築家 ミケランジェロ・ブオナローティ
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1523-1559 ロレンツォ・メディチ図書館

メディチ家の出身のローマ教皇であるクレメンス7世は、メディチ家のコレクション全体を保存するために図書館の造築を構想し、そのプロジェクトをミケランジェロに依頼しました。15世紀末のロレンツォ・ザマグニフィシェントによる書誌コレクションがあったため、この建物は最終的にロレンツォ(ローレンシアナ)図書館として知られることになります。

サン・ロレンツォの大聖堂の修道院内に図書館の場所が選択されると、1523年から回廊の東側の上層階で多数のプロジェクトが同時に始まりました。ラテン語の本とギリシャ語の本を区別するためにさまざまなスペースを整理する必要があり、また希少本は小さな部屋再配置が予定されました。しかし、結局は、すべてを大きな部屋に整理することになりました。

ライブラリでは天井レベルが低くなり、窓が互いに非常に接近して配置され、それによって光度が増加しました。ライブラリの格間天井は楕円形と菱形のモチーフで作られています。

ミケランジェロは、大きな読書デスクも設計しました。彼は階段についても数多くのデザインを行っています。ロレンツォ・メディチ図書館には、ミケランジェロによる30枚以上の図面が保存されており、その精緻さは目を見張るものがあります。

1523-1559 ロレンツォ・メディチ図書館 建築家 ミケランジェロ・ブオナローティ
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1536-1546 カンピドリオ広場

時代は少し遡って、チャールズ5世皇帝の訪問中に、教皇パウルス3世は都市の装飾のために、重要ないくつかの彫刻をカピトリーノの丘に移しました。1537年に移動された青銅の騎馬像マルコアウレリオは、帝国の権威の象徴です。この彫刻がカンピドリオ広場の出発点だったともいえます。現在の騎馬像はレプリカで、オリジナルはカピトリーニ美術館に展示されています。

ミケランジェロは、フィレンツェからローマに移動することを許され、最後の20年間の人生をローマで過ごすことになります。1546年にミケランジェロはカピトリオ広場を開発するように依頼されました。

ミケランジェロは、視線をひとつにまとめられるように上院議員の宮殿(市議会の議席)を広場の後ろに配置し階段を配置しました。そして、2つの宮殿を両側を配置しています。現在カピトリーノ美術館である建物は、正面にコリント式の柱が並んでおり極めて秩序だっています。

注目して欲しいのは、広場は平行ではなく台形の形をしており、より多くの目の錯覚が空間に実現されている点です。具体的には、階段側を狭くして、市庁舎側を広くしています。これにより広がりのある奥行きが実現されています。

広場の舗装に使用されたモチーフは、騎馬像マルコアウレリオの基部を中心とする楕円形に刻まれた曲線のグリッドで設計され、12のセクションに分かれています。

これは星座をほのめかしながら、十二使徒を象徴するキリスト教建築へ言及しています。

このモチーフに関するミケランジェロの考えは中世の書物を参照しており、10世紀の写本の例としながら月の周期の時間を星座の配置と調整しています。また空間的には広場の楕円形のラインは騎馬像の高さを強調しています。

ミケランジェロは、カンピドリオ全体の統合を担当して広場に並外れた象徴性を与えました。

特に2つの対称的な宮殿の間にオープンスペースが、広場を一体化させる劇的な視覚効果を生み出しています。

1536-1546 カンピドリオ広場 建築家 ミケランジェロ・ブオナローティ
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1536-1546 カンピドリオ広場 建築家 ミケランジェロ・ブオナローティ
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1546 ファルネーゼ宮殿

ファルネーゼ宮殿は、サン・ピエトロ大聖堂の建造に携わったアントニオ・ダ・サンガッロ・イル・ジョヴァネの設計です。1534年にファルネーゼが教皇パウルス3世になった時に、3階のコーニスと中庭変更の為にミケランジェロを雇います。

特徴的なのが主階の窓上部にある互い違いのデザインです。ミケランジェロは、側面と後部のボ​​ディを作る前にファサードを仕上げ、2階の高さを上げて下の階と同じようにそれらを統一しました。

サンガッロが設計していたコーニスは、ミケランジェロによってドリス式、イオニア式、コリント式の順序が混在する装飾的な要素を備えた大きなコーニスに置き換えられました。

ファサードのリズムは中央窓の改造によっても変化しました。これにより、大きなリンテルにエンタブラチュアの延長が提供され、その上に高さ3メートルを超える巨大なシールドが置かれました。

ファルネーゼ宮殿の建設では、サンガッロが1546年に死去したときにミケランジェロが監督となり、また作品の後半は、ジャコモ・デッラ・ポルタによって完成しました。

1546 ファルネーゼ宮殿 建築家 ミケランジェロ・ブオナローティ
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1546- サン・ピエトロ大聖堂

現在のサン・ピエトロ大聖堂の建設は、1499年に教皇アレクサンデル6世の発案で、その後の教皇ユリウス2世による決定によってはじまりました。

ジュリアーノ・ダ・サンガッロの新聖堂建設計画は、全面的に建て替える壮大なものでした。ドナト・ブラマンテが主任建築家となり、建設は1506年に始まりました。ブラマンテのプランが残されています。オリジナルの図面は半分しかありません。

1546- サン・ピエトロ大聖堂 建築家 ミケランジェロ・ブオナローティ
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復元されたブラマンテの集中式のギリシア十字形プランは以下のようなものです。

1546- サン・ピエトロ大聖堂 建築家 ミケランジェロ・ブオナローティ
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ブラマンテの計画案で知られているのはこの平面プランとと記念メダルだけです。

中央に大きなドームと四隅に塔を持つギリシャ十字形のプランであり、正面としてのファサードがないのが特徴です。

その後、ラファエル・サンツィオが引き継ぎの十字架のプランに変えました。かなり劇的な変更があったのがわかります。

ラファエルは程なくして亡くなり、1527年にカール5世によるローマ略奪(サッコ・ディ・ローマ)があったり多くの事件や財政不足から大聖堂の建設はほとんど進みませんでした。

その後パウルス3世が教皇になり、1536年から大聖堂の建設が再開されます。

サンガッロの死後、ミケランジェロは、1546年に72歳でサン・ピエトロ大聖堂の建築家に任命されました。

ミケランジェロはラファエルの計画を再度変更し、ブラマンテのギリシャ十字架の当初のアイデアに戻し、正方形の4つのコーナーを減らして小さなエリアに直接光を当てることができるようにしました。

1546- サン・ピエトロ大聖堂 建築家 ミケランジェロ・ブオナローティ
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サンガッロの工事部分の2/3を破壊してコストを切り詰め、造営工事を進めました。ミケランジェロは無給で晩年の17年間を大聖堂建築に費やしたそうです。

そのため現在のサン・ピエトロ大聖堂のほとんどは(計画変更で追加されたファサードを除く)、ミケランジェロの設計と言えます。

ミケランジェロの没年である1564年にドーム下部構造にまで工事はすすみました。ドームはジャコモ・デッラ・ポルタとドメニコ・フォンタナによって1588年から1590年にかけて工事が進められ、ミケランジェロの死から24年後に完成しました。

1546- サン・ピエトロ大聖堂 建築家 ミケランジェロ・ブオナローティ
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1561-1565 ポルタ・ピア

教皇ピオ4世はミケランジェロにポルタ・ピアのプロジェクトを委託しました。ミケランジェロは3つの案を提示し、教皇はそのうち最も費用のかからないものを選んだそうです。

この門は、教皇ピオ4世によって行われた都市改造プロセスのひとつです。クイリナールから来た新しい通りは教皇に敬意を表してビア・ピアと名付けられました。その後、城壁を横切るポルタ・ピアを通り一直線に続きます。

特徴は、都市の内部に面してファサードを備えているという点です。これは大規模な景観の変化であり、以前までの都市の外観としての門を地方に向けるという古い伝統から逸脱しています。

1565年のミケランジェロの死により工事が中断し外壁部分のプロジェクトは完了できませんでした。その後、1853年にヴァージニオ・ヴェスピニャーニが屋根裏部屋を復元しています。

1561-1565 ポルタ・ピア 建築家 ミケランジェロ・ブオナローティ
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3.建築家 ミケランジェロ・ブオナローティの書籍 紹介

Michelangelo: The Complete Paintings, Sculptures and Architecture, 1475-1654 (Bibliotheca Universalis)

私の好きなタッシェンのシリーズです。内容、本のボリュームなどを考えると、大変お買い得ですね。やっぱり世界的な出版社なので、発行部数が半端なく多いのでしょうね。よってこの値段。嬉しいですね。

建築だけじゃなくて、ミケランジェロを網羅的に知る上でも十分な一冊です。

Before reaching the tender age of 30, Michelangelo Buonarroti (1475–1564) had already sculpted Pietà and David, two of the most famous sculptures in the entire history of art. As a sculptor, painter, draftsman, and architect, the achievements of this Italian master are unique—no artist before or after him has ever produced such a vast, multifaceted, and wide-ranging œuvre. This fresh TASCHEN edition traces Michelangelo’s ascent to the cultural elite of the Renaissance. Ten richly illustrated chapters cover the artist’s paintings, sculptures, and architecture, including a close analysis of the artist’s tour de force frescoes in the Sistine Chapel.Full-page reproductions and enlarged details allow readers to appreciate the finest details in the artist’s repertoire, while the book’s biographical essay considers Michelangelo’s more personal traits and circumstances, such as his solitary nature, his thirst for money and commissions, his immense wealth, and his skill as a property investor.

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4.まとめ


建築家 ミケランジェロ・ブオナローティは、ルネッサンス期のイタリアを代表する建築家のひとりです。同じフィレンツェ出身には、レオナルド・ダ・ヴェンチがいました。まさに2大巨匠のすごい組み合わせですね。ミケランジェロの建築作品はフィレンツェとローマにそのほとんどがありますので、行った際には見落とさずに是非行ってみましょう!私が好きなのは、やはりカンピドリオ広場です。視点が都市スケールなのが、とても心地よいです。

注意説明 公共建築以外の場所の特定は行っていません。個人の所有物である住宅は、場所の特定をしないように配慮しております。ご了承くださいませ。

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