オットー・ワーグナーは、近代建築の黎明期に世紀末のウィーンで活躍した建築家のひとりです。この時代の建築家は、産業革命を経て近代へ向かう激動の時代に、デザインを通して人と社会にアプローチしています。




本記事の内容
本記事では、建築家オットー・ワーグナーの略歴、代表作、書籍を紹介したいと思います。デザインの力を信じる心からは、今のインターネットによる社会変化の時代に、建築が何をできるのか、たくさんのことを学べるように思います。
建築家オットー・ワーグナーは、歴史主義からスタートして、アール・ヌーボー(ウィーンだとユーゲント・シュティール)、近代建築とデザインスタイルが大きく変化しています。時代の大きな流れに中に思想もデザインも存在しているのがよくわかります。
ウィーンは、歴史の重みのある組積造の建築の中に、近代建築が埋め込まれています。単体で見るよりも、町全体で感じることが重要なことだと思い知らされます。オットー・ワーグナーは、そうした時代の中で、建築によって人々の生活を変えようとしました。デザインの力を信じていた。
今は、デザインの概念も大きく変わっています。現代は、どんなデザインが必要か考えないといけないですね。大きな宿題です。
目次
1.建築家 オットー・ワーグナーの略歴
オットー・ワーグナーは、1841年、ウィーン生まれ。当時はオーストリア帝国。
1857-1859年にウィーンの工科大学、その後、ベルリンの建築アカデミーで学ぶ。ウィーン芸術アカデミー(The Academy of Fine Arts Vienna)に進学して1863年に卒業する。1863年に結婚して、1880年に離婚。その後、1881年に18歳下のルイーゼと再婚。
1890年に、ウィーンの都市計画部門の顧問に就任する。 1894年にウィーン芸術アカデミーの教授に就任する。その後、ワーグナーの重要な教え子となるヨゼフ・マリア・オルブリッヒとヨーゼフ・ホフマンがアカデミーに入学し、ワーグナーのもとで学ぶ。
クリムトが作ったウィーン分離派に、教え子の二人が参画し、その後ワーグナーも分離派に参加する。この時代には、ウィーン分離派の流れで歴史主義の建築だけでなくユーゲントシュティールの建築が増加する。ワーグナーも、マジョリカハウス、カールスプラッツ駅などを設計する。1912年、71歳の時にワーグナーはウィーン芸術アカデミーを停年となる。
1918年死去(77歳)
主な建築作品としては、シナゴーグ(1868年)、ホヨース宮(1890-91年)、マジョリカハウス(1898-99年)ウィーン郵便貯金局(1906-12年)、シュタインホーフ教会堂(1907年)などがある。
2.建築家 オットー・ワーグナーの代表作 紹介
シナゴーグ(1868年)Rumbach Street Synagogue
シナゴーグとは、ユダヤ教の会堂のことをいいます。元々はギリシャ語のシュナゴゲー(集会所)に由来しています。

ブダペストのルンバッハ通りにあるシナゴーグ(ハンガリー語:Rumbach utcaizsinagóga)は、歴史的な旧市街の中心都市であるベルヴァロスにあります。

このシナゴーグには8つの側面があり、内部もきれいに修復されています。

八角形のドームは、複雑にパターン化されたイスラム文様があり、非常に美しいです。

オットーワーグナーがウィーン以外に作った代表的な建築です。
ホヨース宮(1890-91年)Palais Hoyos
ホヨース宮は、19世紀の終わりにオットーワーグナーによって他の2つの宮殿と一緒に建設されました。ホヨース宮は基本的に歴史主義のスタイルですが、正面はロココ調であり、一部にウィーン分離派のデザインも見られます。
1903年にホヨース宮殿は伯爵夫人マリー・ホヨースに買収されました。その後、1957年に宮殿はユーゴスラビアに売却されユーゴスラビアの崩壊後、建物はセルビアの所有とな大使館として使われました。また、現在は、ユーゴスラビア崩壊後の合意に続きクロアチアに引き継がれています。2013年には、クロアチア大使館として利用するために大規模な改修しています。

マジョリカハウス(1898-99年)Majolikahaus
オットー・ワーグナーは、カールスプラッツとシェーンブルクの大通りに、1898年から1899年までに、3つのアパートメントを設計しました。「Wienzeilenhäuser」と呼ばれる3つのアパートメントは、ウィーンのユーゲントシュティール建築の典型といえます。
このうちの1つが、1898年に建てられた「マジョリカハウス」です。このアパートメントの壁は、Wienerberger社のMaiolica(マイオリカ)タイルが使われています。このマジョリカハウスでは、花をモチーフにしたMaiolica(マイオリカ)タイルで飾られています。
マジョリカハウスの「マジョリカ」とはどういう意味でしょうか?もともとは、15世紀から16世紀にカラフルな文様で描かれたイタリア陶器を指しています。
Maiolicaタイルは、耐候性がありメンテナンスが容易です。こうしたメンテナンスの容易さといった衛生面は近代性の重要な要素でした。そのため、このタイルの仕様は、単なる装飾を超えて近代性の象徴的な面も備えており、オットーワーグナーにとっても極めて重要なことでした。
ウィーン郵便貯金局(1906-12年)Postal Savings Bank
1896年にワーグナーは、建築に関する自身のマニフェスト「近代建築」を表明しています。その中で、ワーグナーは建築は実用的で且つ効率的に設計されるのを理想としています。また同時に、美(beauty)の目的は機能に芸術的表現を与えることとしています。よって、機能に沿っていない外部の装飾は、排除すべき存在だったのです。
ワーグナーは彼の建築論を説明する際に、ファッションと比較しています。
ビジネスマンのスーツは、幅広い用途に利用できる機能性を持ちながら、スタイリッシュで洗練され、快適でよく作られているとしました。建築もこうでないといけないということです。
このワーグナーの主張通りに、19世紀後半から20世紀初頭のオーストリアでは、過去の世代の衣装、つまり歴史主義の装飾と決別した新しい時代の建築が作られていきます。
ワーグナーが1904年から1906年フェーズⅠと、1910年から1912年のフェーズⅡで実現したウィーン郵便貯金局は、ワーグナーにとって最初の機能に基づいた建築となったのです。
シュタインホーフ教会堂(1907年) Kirche am Steinhof
ウィーンの精神病院の敷地内にシュタインホーフ教会堂はあります。オットーワーグナーによるユーゲントシュティール建築の最高傑作と考えられています。彼のデザインは、ウィーン市内から遠く離れていたにも関わらず当時非常に物議を醸しました。しかし、後年はウィーンで最も優れた分離派の建物と言われています。また、同じく分離派で活躍したコロマンモーザーの絶妙なガラスモザイク窓も着目すべき点です。
Otto Wagner’s St Leopold Church. Vienna, Austria.
3.建築家 オットー・ワーグナーの書籍 紹介
オットーワーグナーに関する書籍は数多いですが、ここでは読みやすい主要な書籍について紹介します。
オットー・ワーグナー建築作品集
オットー・ワーグナーの主要な建築の作品集です。
オットー・ワーグナー―ウィーン世紀末から近代へ (SD選書 (187))
鹿島出版界が出しているSD選書シリーズです。オットーワーグナーに関する網羅的な解説がありますのでおすすめです。
GA No.47〈オットー・ワーグナー〉シュタインホフの礼拝堂1905-07/ウィーンの郵便貯金局1904-06 (グローバル・アーキテクチュア)
こちらも建築で有名なGAシリーズの書籍です。GAは、写真や図面が充実しています。
近代建築 オットー ヴァーグナー (著)
1896年にオットーワーグナーは「近代建築」というマニフェストを出版しました。この「Modern Architecture: A Guidebook for His Students to This Field of Art」という英語題名は、歴史主義、折衷主義的な建築の終焉と、当時の近代主義者会のニーズと理想に向けた、強烈なマニフェストであったと言えます。
この書籍によって、オットーワーグナーは近代的スタイルへ移行し、ヨーロッパをはじめ世界の建築界に大きな衝撃を与えました。
彼の理論、教育、技術的な側面は、グラスゴーのチャールズ・レニー・マッキントッシュやシカゴのルイ・サリバンなどの同時代人にも大きな影響を与えました。この「近代建築」は、20世紀という新時代の幕開けを宣言し、また世紀末から近代へ向かう際の問題と発展の道筋を明確に示した建築書籍です。
近代建築を学ぶ際の読み直しには最適です。
Otto Wagner
ドイツの出版社のTaschenによる作品集です。内容の充実度にくらべて値段がリーズナブルなので、おすすめです。私もTaschenの本はよく買ってしまいます。
4.最後に
オットーワーグナーは近代建築の黎明期を生きた建築家です。その様式の変化を見ても歴史主義から、ユーゲントシュティールを経て、近代建築ヘ結びつく過渡期を経験しており、非常に興味深いです。ウィーンに行くまえには、是非ともオットーワーグナーをおさらいしてからに!!その方が絶対楽しいです!