
建築家 フランク・ロイド・ライトは、米国のウィスコンシン州出身の建築家です。モダニズム的な意匠に、オリエンタル、古代文明などのデザインモチーフを融合させると、なぜか日本にも通じるものがあるのです。日本でも人気の建築家です。
本記事の内容
本記事では、建築家フランク・ロイド・ライトの略歴、代表作、書籍を紹介したいと思います。建築家フランク・ロイド・ライトは、日本の旧帝国ホテルを設計した建築家として有名です。また、自由学園明日館もフランク・ロイド・ライト設計です。自由学園明日館は結婚式などいろんなイベントに使われていますし公開されているので行きやすいですよ。
目次
- 建築家 フランク・ロイド・ライトの略歴
- 建築家 フランク・ロイド・ライトの作品
- 落水荘
- 旧帝国ホテル本館(ライト館)
- タリアセンウエスト
- 建築家 フランク・ロイド・ライトの書籍 紹介
- まとめ
1.建築家 フランク・ロイド・ライトの略歴
フランク・ロイド・ライトは、1867年生まれの建築家です。アメリカのウィスコンシン州出身です。ル・コルビュジエ、ミース・ファン・デル・ローエと共に「近代建築の三大巨匠」と呼ばれています。
フランク・ロイド・ライトはウィスコンシン大学マディソン校を中途退学した後、シカゴへ行きます。そこで、アドラー=サリヴァン事務所で建築の修行を行います。サリヴァンを師と仰いて学び頭角を現したライトは、事務所では多くの住宅設計を任せられます。
1893年に独立して自分の事務所を構えました。1894年のウィンズロー邸がデビュー作です。その後、17年間に200件程度の多くの設計を行いました。かなり多いです。そこでプレイリースタイルを確立します。1906年のロビー邸はその代表的作品です。

プレイリースタイルは、当時典型的だった屋根裏や地下室を無くして建物の高さを抑えています。また、建物の水平線を強調している点が特徴です。また、部屋同士を完全に区切るのではなく、一つの空間として緩やかに繋いでいる点も特徴です。
新古典主義のデザインが多かった当時、郊外の広さを生かしたデザインを行なったプレイリースタイルは斬新でした。
この後フランク・ロイド・ライトはプライベートで大きな事件に巻き込まれます。不倫や駆け落ち、そして設計事務所であったタリアセンで起きた惨殺事件です。タリアセンの使用人であったジュリアン・カールトンは、当時に設計事務所であったタリアセンに放火した上、チェニー夫人と2人の子供、及び弟子達の計7人を斧で惨殺しました。
そのような中でライトは、1913年に日本の帝国ホテル新館設計のために来日します。かなり精神的にダメージを負っている時です。当初うまく行っていた設計も、竣工間近には大幅な予算オーバーと工期の遅れから米国に戻ることになりました。
帝国ホテルの建設は弟子の遠藤新によって続けられ1923年に竣工しました。
長い間かかりライトは精神的に落ち着いた時期を取り戻します。ここで後期の重要な2つの代表作を設計します。ひとつは1936年に竣工したカウフマン邸(落水荘)、もうひとつはジョンソンワックス社です。
また、プレイリースタイルの発展形として「ユーソニアン・ハウス」を作ります。これは、タリアセンウエストを本拠地にしています。「万人により安価でより良い住宅を提供すること」を目的にしており、1936年のジェイコブス邸は第1号です。

この「ユーソニアン・ハウス」に則った工業化住宅が次々と作られました。その設計はいまでも、とても魅力的ですね。
その後は、タリアセンウエストで建築教育と実務を続けて1959年に91歳で逝去しました。
2.建築家 フランク・ロイド・ライトの代表作 紹介
落水荘
落水荘は,
建築家フランク・ロイド・ライトによって1936年に竣工した別荘です。この住宅は、世界遺産リスト登録物件である「フランク・ロイド・ライトの20世紀建築作品群」のひとつでもあります。依頼主は、エドガー・カウフマンです。落水荘の名前の通り、川と滝の上に建てられています。
リビングにある階段からは、直接、水辺に降りられますが、増水時には結構水量も増えたそうです。
- 床面積:本館は495平方メートル
- 来客用の宿泊棟が157平方メートル

旧帝国ホテル本館(ライト館)
旧帝国ホテルの本館の設計が建築家フランクロイドライトによって行われました。通称ライト館は、鉄筋コンクリートおよび煉瓦コンクリート造で1923年に竣工です。
残念ながら、1968年に新本館建設のため解体されています。
当時帝国ホテルの総支配人だった林愛作によって、建築家としてフランク・ロイド・ライトが選定されました。1917年にライトは来日して設計を開始します。この時に、アントニン・レーモンドも連れた来たことは、日本の建築界にとって大きな意味があります。
ライトは石材から内部のインテリアまで徹底して管理して設計を行いました。また帝国ホテル全体を10のブロックに分けて、今でいうエキスパンションジョイントで繋ぎ合わせて構造的な解決を図っている点も特徴です。
また、世界で初めて全館にスチーム暖房を採用した点でも有名です。しかし、こうした完璧主義から大幅な予算オーバーを引き起こしてしまいました。
なんと予算は予算150万円が6倍の900万円になっていたのです。そのため、ライトを設計者として選んだ林愛作は総支配人を引責辞任し、またフランク・ロイド・ライト自身も経営陣と対立し、ホテルの完成を見ることができずに解任されてしまいました。
その後は、遠藤新のもとで工事が引き継がれ1923年に竣工しました。
また、落成式当日が、関東大震災と重なったこと、また、このときほとんど無傷だったことでも有名です。
1964年にはライトの本館が取り壊しとなりました。この本館の存続運動もありましたが、本館は地盤沈下がありまた雨漏りもしていたことから取り壊しが決まったといいます。あとは、客室の少なさも問題だったようです。
現在ライト館の玄関部分は博物館明治村に移築されています。自由に見ることができるので、ぜひ行ってみましょう!



タリアセンウエスト
70歳を目前としていたフランク・ロイド・ライトは、医師の助言により健康のために厳しいウィスコンシンの冬を逃れるため、1935年にアリゾナに移住しました。
1937年にライトはタリアセンウエストになる砂漠地帯の区画を購入しました。その後タリアセンウエストは、ライトの設計事務所でもあり建築学校でした。タリアセンウエストでは、1937年から1959年に91歳で亡くなるまで過ごしています。
この設計事務所でもあり建築学校では、砂漠地帯であったために十分な水を提供するのに十分な深さまで掘るには、1万ドル以上の投資が必要など水の確保が難しかったといいます。また、最初の冬ライトと彼の生徒たちはテントを利用して、主に手作業で地元の人を使って最初の建物を建てました。今では考えらませんね。
現在はタリアセン建築学校のメインキャンパスであり、フランクロイドライト基金があります。タリアセンウエストは現在ツアーが実施されています。

3.建築家 フランク・ロイド・ライトの書籍 紹介
フランク・ロイド・ライト 最新建築ガイド
最近出た本ですが、フランク・ロイド・ライトの入門書およびガイドマップとして最適です。
この本を片手に、フランク・ロイド・ライト建築を見にいきたくなりますね。
近年の新規公開や移築も含めた、一般に公開されているフランク・ロイド・ライトの74の作品を紹介。巨匠の全貌をコンパクトに把握できる、ライト入門書としても最適の一冊。ライトめぐりの旅にも必携!
移築や改修などを経て、近年新たに公開された建物を多数収録・見学ツアーの有無やアクセス情報なども掲載
ライトの建物が集中している6エリアのおすすめ見学コースを提案・全米におけるライト作品の分布MAP付き
Amazonより
4.まとめ
建築家フランク・ロイド・ライトは、旧帝国ホテルの本館設計、ヨドコウ迎賓館、自由学園明日館などの設計も行なっていて、日本でも人気です。また、旧帝国ホテルをモチーフにしたライトなど、インテリア製品も有名です。日本のライト建築は公開されているので、行きやすいです。あとは、落水荘!これは、まだ行ったことがないので機会があればぜひ行ってみたいです!