建築家 芦原義信は、東京出身の建築家です。駒沢オリンピックセンターやソニービルの設計者としても知られています。
本記事の内容
本記事では、建築家 芦原義信の略歴、代表作、書籍を紹介したいと思います。建築家 芦原義信は、日本の近代を代表する建築家です。ハーバード大学大学院に進み、米国の最新の建築技術とデザインを導入しました。マルセル・ブロイヤー仕込みの機能とデザインを結びつける手法は圧巻です。また、駒沢オリンピック公園総合運動場の管制塔の象徴性も際立っています。
目次
- 建築家 芦原義信の略歴
- 建築家 芦原義信の代表作 紹介
- 1964 駒沢オリンピック公園総合運動場体育館・管制塔
- 1966 ソニービル
- 1980 国立歴史民俗博物館
- 建築家 芦原義信の書籍 紹介
- まとめ
1.建築家 芦原義信の略歴
建築家 芦原義信は、1918年に東京で生まれました。
1942年に東京帝国大学工学部建築学科卒業して、技術士官として海軍に入隊します。戦後、1945年に坂倉準三建築設計事務所に入所します。
フルブライト奨学金を得てハーバード大学大学院で学び、その後マルセル・ブロイヤーの事務所に入所して研鑽を積みます。
1956年に38歳で芦原建築設計研究所を開設します。1959年に法政大学に教職を得て、後進を育てながら建築設計を続けます。1965年に武蔵野美術大学教授、1970年に東京大学教授となります。
代表作は、駒沢オリンピック公園総合運動場体育館 ・管制塔(1964年)、更埴文化会館(長野県千曲市、1990年)、国立歴史民俗博物館(1980年) 、ソニービル(東京都中央区銀座、1966年)、東京芸術劇場(豊島区西池袋、1990年)があります。
1985年に日本建築学会会長、そのほかにも日本芸術院会員となります。
2003年に85歳で亡くなります。
2.建築家 芦原義信の代表作 紹介
1964 駒沢オリンピック公園総合運動場体育館・管制塔
1964年に竣工したオリンピック駒沢体育館・管制塔は、芦原義信の初期の代表作です。
管制塔は12層あり、高さ約50mです。この管制塔はオリンピック会期中、テレビ電波だけでなく観衆を輸送する交通を管理したり、電気や水などもコントロールしていました。日本の古来の仏塔(五重の塔など)を模した形状は、まさに日本を象徴しています。
駒沢オリンピック公園総合運動場体育館は、1964年の東京オリンピックで、レスリング競技の会場となりました。
2005年には、DOCOMOMO JAPAN選定「日本におけるモダン・ムーブメントの建築」に選定されています。
1966 ソニービル
ソニービルは、1966年に竣工しました。敷地の経済的な利用方法を模索した結果、銀座における宣伝的な価値を重視しソニーが自社のショールームとして建築をしたものです。
敷地一杯に建設せずに、交差点の角に空地を設けている点も特徴です。ビル平面は田の字状に四分割され、各階が「らせん状」につながるスキップフロア形式で構成されています。
モダニズム建築の重要建築物の一つであり、2003年に、DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築に選ばれましたが、2017年に新ビルに建て替えのため解体されました。
1980 国立歴史民俗博物館
1966年に政府により「明治百年」記念事業の一環として国立歴史博物館の設置を決定されました。1980年に竣工した国立歴史民俗博物館は、大学共同利用機関として国の歴史資料、考古資料及び民俗資料の収集、保管及び調査研究を行っています。
各機能の低層でまとめた建築群は屋根伏せ図も美しく、正当的なモダニズム建築と言えます。
国立歴史民俗博物館は、第24回BCS賞を受賞しています。
3.建築家 芦原義信の書籍 紹介
街並みの美学
建築家 芦原義信は、戦後日本において「街並み」の重要性を最初に指摘した建築家のひとりといえます。この書籍では、いまはお馴染みとなった「地と図」「内部と外部」といった基本事項が丁寧に解説されています。基本書籍の一つとして、いまもその指摘は色褪せていません。
建築と町並みの関係を考える上で、まず読んでおかなくてはいけない基本書籍としておすすめです。
都市と建築の中間に位置する「街並み」は,そこに住みついた人々が歴史のなかでつくりあげ,風土と人間のかかわりのなかで成立した.世界各地の都市の街並みを建築家の眼で仔細に見つめ,都市構造や建築・空間について理論的に考察する.人間のための美しい街並みをつくる創造的手法を具体的に提案した,街づくりの基本文献.
Amazonより
4.まとめ
建築家 芦原義信は、日本の近代を代表する建築家です。東京銀座にある、銀座のソニービルは有名なので知っている人も多いでしょう。ソニービルが解体される時はかなり衝撃的でした。解体前に見に行ったことを思い出します。できるだけ、こうした高度成長期の名建築も解体されずに残ってほしいものです。