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建築家 磯崎新を知ろう! 大分県立中央図書館/福岡相互銀行本店など

磯崎新は、大分県大分市出身で丹下健三研究室で黒川紀章らと学んだ建築家です。とても一言では語れません。日本の建築界に極めて大きな影響を残しています。

本記事の内容

本記事では、建築家 磯崎新の略歴、代表作、書籍を紹介したいと思います。磯崎新は、建築だけでなく、都市計画家、芸術家でもあり、また多数の書籍を書いていることでも知られています。2019年3月に建築界のノーベル賞と言われるプリツカー賞をとりました。なぜ今?と遅すぎるぐらいですが。

目次

  1. 建築家 磯崎新の略歴
  2. 建築家 磯崎新の作品
    • ホワイトハウス
    • 大分県立中央図書館
    • 福岡相互銀行本店
  3. 建築家 磯崎新の書籍 紹介
  4. まとめ

1.建築家 磯崎新の略歴

1931年に磯崎藻二の長男として生まれました。父は、家業の米穀商と廻船業を継ぎ実業家であり、また俳人でした。そんな裕福な家庭で旧制大分中学を卒業して、東京大学工学部建築学科に進学します。

卒業後、1960年から丹下健三研究室で黒川紀章らと建築設計と研究を行います。このときに、東京計画1960に関わっています。

1961年には東京大学数物系大学院建築学博士課程を修了します。

その後、伊藤ていじ・川上秀光と八田利也(はったりや)というペンネーム使って執筆活動を行います。そこで執筆した「現代建築愚作論」はとても有名です。

1963年に磯崎新アトリエを設立します。アトリエというのがいいですね。建築という言葉を使っていませんね!

1967年大分県立大分図書館が竣工します。大分県立大分図書館は、父の友人の多額の寄付が資金となっており、その縁で設計者に選ばれたそうです。

1970年には大阪万博のお祭り広場を丹下と共同で設計します。1972年に宮脇愛子と結婚して、1975年には著書『建築の解体』を書いて、群馬県立近代美術館や北九州市立美術館などが竣工します。まさに、飛ぶ鳥を落とす勢いです。

1983年につくばセンタービルが竣工します。2017年に日本芸術院会員に選出され、そして2019年にプリツカー賞を受賞し、いまだ健在です!

2.建築家 磯崎新代表作 紹介

磯崎新の処女作:ホワイトハウス

新宿ホワイトハウスは、1957年(昭和32年)に竣工。磯崎新の処女作です。新宿区百人町に吉村益信の住居兼アトリエとして建てられました。

特徴である外壁の白いモルタル仕上げから「ホワイトハウス」と呼ばれています。

ここは1960年に結成された「ネオ・ダダ」の活動拠点となった場所です。

「ネオ・ダダ」は、吉村益信をリーダー的な存在として東京で結成された前衛芸術グループです。活動期間は極めて短かったものの、現代にも大きな影響を与える芸術家が多く所属していました。荒川修作、吉村益信、篠原有司男、風倉省作、赤瀬川原平らです。アングラと言われる時代とも重なりますね。

その活動拠点だった場所です。それと磯崎新の処女作ということで、オーラを纏っているように感じませんか?

ここは、カフェアリエとして、喫茶店になっていましたが、残念ながら現在は廃業中です。

磯崎新の処女作:ホワイトハウス

アートプラザ(旧大分県立中央図書館

旧大分県立大分図書館は、1966年6月に竣工しました。大分市出身の建築家磯崎新の代表作です。この作品で、日本建築学会賞を受賞しています。

旧大分県立大分図書館は、もともと新しい県立の図書館(豊の国情報ライブラリー)の建設に伴って建て替え予定でした。

しかし、大分市が大分県から建物及び敷地の譲渡を受けて、アートプラザとして再生しています。

こうやって残っていくことが大事ですし、「残すこと」が前提となってほしいですね。

新しくアートプラザとして開館した1998年に、公共建築百選に選出され、また、2003年にはDOCOMOMO Japanが選定する日本におけるモダン・ムーブメントの建築に選ばれています。

1階は市民が自由に利用できるギャラリーです。2階には大分市美術館所蔵の現代美術作品を常時展示しています。また、アートホール、実技室、研修室等が設けられています。3階は磯崎新の建築作品の模型や資料を常設展示する磯崎新建築展示室となっていますので、建築ファンにはもってこいですね。

アートプラザ(旧大分県立中央図書館) 磯崎新

福岡相互銀行本店

昭和46(1971)年に、当時の福岡相互銀行本店として完成しました。堂々たる風格を備えており、ガラスによるカーテンウォールではなく、壁体は赤茶色のインド砂岩と御影石を中心に構成されています。

長年JR博多駅の「シティウォール」として愛されてきました。趣向当時の写真を見ると、博多のまさにシンボルであったのがよくわかります。現代の写真と比べてみましょう!

時代が違うと、同じ建築でも見え方が全然違いますね!銀行なので、中を見られます!ぜひ行ってみましょう!

福岡相互銀行本店 磯崎新
福岡相互銀行本店 磯崎新

旧福岡相互銀行が建て替えへ

ついに、建て替えになってしまいました。見に行けるうちに見に行きましょう!確かに老朽化はやむを得ないとはいえ、日本の建築は、無くなってしまうことが多いのです。残すことの意義を語るのはもちろんですが、「残すことが当たり前という考え方」が根付くこと、そういう社会的な価値観の滋養が必要ですね。

西日本シティ銀行(福岡市)は、JR博多駅前の本店ビルを建て替える方針を固めた。容積率緩和で再開発を推進する市のプロジェクト「博多コネクティッド」を活用し、オフィスや商業施設が入る大型複合ビルに再開発する。本店ビルは世界的な建築家、磯崎新氏(88)が設計。駅前のランドマークとなっているが、老朽化に伴う耐震対策などが課題で、2022年度の市営地下鉄七隈線博多駅延伸、九州新幹線西九州(長崎)ルート暫定開業後の街づくりも見据え、建て替えを決断した。近く発表する。

ビルは1971年12月、旧福岡相互銀行(後の福岡シティ銀行、現西シ銀)の本店として開業した。博多口前の一等地にあり、敷地面積は約5200平方メートル。地上12階、地下2階建てで延べ床面積約2万6千平方メートル。現在は西シ銀の本店営業部やグループの証券会社などが入居している。

設計は、大分市出身で世界でも活躍する磯崎氏が担当。外壁全面に茶褐色のインド砂岩を張り巡らせた斬新なデザインで知られ、重厚感ある外観が特徴となっている。一方、築48年が経過して老朽化が進行。規制緩和で古いビルの更新を促す「博多コネクティッド」を活用し、耐震性や機能性に優れた先進的なビルに建て替えることにした。

今後、具体的な設計に入るが、容積率緩和策を最大限活用。ビルの延べ床面積は、現在から2倍程度に拡大する見通し。地下1階には地下鉄七隈線の新しい博多駅や駅ビルへとつながる広場を設置。街の回遊性を高めるとともに、災害時は避難場所としても使い都市の防災機能強化につなげる。

博多エリアのにぎわい創出に向け、低層階は商業フロアとする計画だ。 現ビル象徴のインド砂岩の一部を新ビルに移築することも検討しており、磯崎氏とも相談しながら計画を進める。 新ビルもデザイン性にこだわり、地下鉄延伸などで機能が高まる「九州の玄関口」にふさわしい新たなシンボルにしたい考えだ。開業時期などは今後詰める。 (博多再開発取材班)

西日本新聞より

3.建築家 磯崎新の書籍 紹介

ご紹介したい書籍が多くてキリがないですが、最も有名なものをいくつか。

建築の解体―一九六八年の建築情況

1960年代の多様化してゆく建築の手法を追跡。ホライン、アーキグラム、ムーア、アレグザンダー等7人の建築家について論じる。30年前、ポストモダンの到来を予告した書。1975年美術出版社刊の復刻。(本書より)

建築における「日本的なもの」

“建築”が表象するのは国家の欲望なのか?旧時代を打破する革命の予兆なのか?西欧モダニズムを独自の形で変形し受容した日本近代建築の変遷を大胆に再構成し、自らの活動を見つめ直す表題作ほか、イセ、重源、カツラからインターネット時代の新都市像まで、世界的建築家による日本=建築論の記念碑的集成。

空間へ―根源へと遡行する思考

1960年代の多様化してゆく建築の手法を追跡。ホライン、アーキグラム、ムーア、アレグザンダー等7人の建築家について論じる。30年前、ポストモダンの到来を予告した書。1975年美術出版社刊の復刻。(本書より)

4.最後に

磯崎新は日本建築に多大な影響を与えた建築家です。100を超える建築を世界中に残しています。書籍も膨大ですから、その足跡を辿るだけでもかなり大変です。書籍は、読むことはできますが、建築は無くなるかもしれませんので、できる限り早く見に行きましょう!

注意説明 公共建築以外の場所の特定は行っていません。個人の所有物である住宅は、場所の特定をしないように配慮しております。ご了承くださいませ。

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