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建築家 ルドルフ・シンドラーを知ろう! シンドラー自邸など

建築家 ルドルフ・シンドラーは、オーストリア出身の建築家でアメリカの西海岸で活躍しました。フランク・ロイド・ライトにあこがれてアメリカに行き、そしてフランク・ロイド・ライトと決別したことでも知られています。

本記事の内容

本記事では、建築家ルドルフ・シンドラーの略歴、代表作、書籍を紹介したいと思います。建築家ルドルフ・シンドラーは、オーストラリア出身でオットー・ワーグナーやアドルフ・ロースの影響を受けながら建築を学び、その研ぎ澄まれた感性がアメリカで花開きます。しかし、アメリカに建築界にとっては、ルドルフ・シンドラーの登場は早すぎたのだと思います。彼が1960年代に正当に評価されるまで、長い時間がかかりました。それにしても、洗練されたモダニズム空間がなぜ当時は注目されなかったのか、時代というものの面白さと、恐ろしさを感じます。

目次

  1. 建築家 ルドルフ・シンドラーの略歴
  2. 建築家 ルドルフ・シンドラーの作品
    • 1922 シンドラー自邸
    • 1926 ローヴェル・ビーチ・ハウス
    • 1950 ティシュラー邸(translucent house)
  3. 建築家 ルドルフ・シンドラーの書籍 紹介
  4. まとめ

1.建築家 ルドルフ・シンドラーの略歴

ルドルフ・シンドラーは1887年にオーストリア・ウィーンのユダヤ系中流家庭に生まれました。父は製造業で、木・金属細工の製作と輸入を行っていました。1911年にウィーン産業技術大学で建築の学位を取得します。ここでは、オットー・ワーグナーやアドルフ・ロースなどが教えていました。ルドルフ・シンドラーはこの学校で、リチャード・ノイトラと友人になっています。ここが、すごい出会いです。リチャード・ノイトラも構成に名を残す建築家となります。

1914年にアメリカのシカゴで、オッテンハイマー・シュテルン&ライヒェルト(OSR) 事務所で働き始めます。シカゴは、ルイス・サリヴァンやフランク・ロイド・ライトの建築もあったため、きっと魅力的な場所であったのだと思います。シンドラーはフランク・ロイド・ライトを尊敬しており、何度も手紙を書いていました。その結果、1914年12月にシンドラーはフランク・ロイド・ライトと対面します。しかし、フランク・ロイド・ライトの事務所で働くことは叶わず、OSR事務所での仕事を続けました。

しかし、フランク・ロイド・ライトが東京の帝国ホテルの設計に関わるようなると、フランク・ロイド・ライトは事務所の仕事をシンドラーに託すようになります。その後、シンドラーはライトの仕事をするためにロサンゼルスに行き、そのまま独立します。

シンドラーの初期の作品は、構造体がコンクリートです。しかし、それは現場施工の鉄筋コンクリート造ではなく、プレキャストコンクリートです。しかし、工場生産のPCパネルでなく、現場打設のPCパネルです。シンドラーはOCR事務所時代にこの手法を知り、その後の代表作であるシンドラー自邸、ピューブロ・リベラ・コート、ローヴェル・ビーチ・ハウス (Lovell Beach House)、ウォルフェ邸、ハウ邸などはこの手法で作られています。

シンドラーは、1922年にシンドラー自邸(Kings Road House)を完成させ、もともとフランク・ロイド・ライトの施主であったアリーヌ・バーンズドールは、その後シンドラーに設計を依頼するようになります。そのことが、フランク・ロイド・ライトとの関係に大きなヒビを残します。尊敬していたフランク・ロイド・ライトと絶縁状態になったシンドラーですが、フランク・ロイド・ライトの人柄とは相容れなかったのだと思います1926年にローヴェル・ビーチ・ハウスが竣工します。

その後、シンドラーは1930~40年代の作品ではコンクリートから木造に移ります。仕上げを木造のプラスター塗りという安価な工法を採用するようになります。シンドラーは独自の工法の研究にも熱心で、後半の作品の中で、新しい工法を試したりしています。

1953年にルドルフ・シンドラーは66歳で逝去します。

シンドラーのモダニズムの作品は、生前はあまり注目されませんでした。それは、1932年のニューヨーク近代美術館における「国際現代建築展」以前に急進的なモダニズムに到達したために、世の中の評価が追いつかなかったのだと思います。それにしても、「国際現代建築展」に参加しなかったのはなぜなのかも木になります。シンドラーの再評価が行われるのは、1960年にエスター・マッコイの著書である「Five California Architects)」という著作においてです。

2.建築家 ルドルフ・シンドラー代表作 紹介

1922 シンドラー自邸

最も有名な作品であるシンドラー自邸 (Kings Road House)は、シンドラー自身とその妻、そして友人のチェイス夫妻の二組の夫婦のために設計されました。シンドラーの自宅兼スタジオです。

プランニングはL型の平面構成で、シンドラーが得意としていた現場打ちのPCパネルの壁・床を組み合わせ、また開放的な木製の建具の対照が特徴です。

1926 ローヴェル・ビーチ・ハウス

ローヴェル・ビーチ・ハウス(Lovell Beach House)は、カリフォルニア州ニューポートビーチのバルボア半島にあります。この建物は1926年に竣工しました。建築家ルドルフ・シンドラーの最も重要な作品のひとつであり、アメリカの初期の近代建築の重要な作品でもあります。

敷地はオーシャンフロントにあり、建物が密集した地域です。家は、居住階を地上より高くすることで、西側の通りの騒音や視線から保護しています。下のオープンスペースは、特徴的な形の現場打ちプレキャスト・コンクリートであり、2つの階段がフレームの開口部を通ってキッチンとメインの入り口につながっています。海に面した東側と南側に全高のカーテンウォールウィンドウがあります。キッチンと朝食エリアは1階の北側にあり、庭園の海側にテラスがあります。2階の寝室は、メインのリビングルームを見下ろす廊下でつながっています。

注意説明 公共建築以外の場所の特定は行っていません。個人の所有物である住宅は、場所の特定をしないように配慮しております。ご了承くださいませ。

1950 ティシュラー邸(translucent house)

ティシュラー邸は、1950年に竣工です。ティシュラー邸は、1927年にルドルフ・シンドラーが提案した「半透明の家(translucent house)」のビジョンを探求したプロジェクトといえます。

半透明の家(translucent house)

ティシュラー邸の施主のアドルフ・ティシュラーは、食器デザイナーであり、芸術家としての銀細工師でした。1949年にティシュラーと妻のベアトリスは、家族向けの家を設計する建築家を探していました。彼らは、ルドルフ・シンドラーと共に、リチャード・ノイトラ、クレイグ・エルウッドなどの設計者の候補としてあげていました。最終的にティシュラーは、ルドルフ・シンドラーを設計者に選び極めて特徴的な空間特性を持つティシュラー邸が完成しました。

複雑でドラマティックなスペース、広々とした空間に開かれた窓、壁をドアの高さまで包み込んだ立体的なボリュームとしての壁などのその特徴です。

注意説明 公共建築以外の場所の特定は行っていません。個人の所有物である住宅は、場所の特定をしないように配慮しております。ご了承くださいませ。

3.建築家 ルドルフ・シンドラーの書籍 紹介

ルドルフ・シンドラー―カリフォルニアのモダンリビング

シンドラーが再評価された画期的な書です。シンドラー入門として、まずは読むべき一冊ですね!

ロサンゼルスで活動した建築家ルドルフ・シンドラーは、今日では20世紀初頭にヨーロッパやアメリカで勃興したデザインの近代運動の中心人物のひとりとみなされている。シンドラーの作品は高い質を有し、創意にあふれているにもかかわらず、エスタブリッシュされた建築界のコミュニティに認められることはなかった。1971年に初版が出版された本書は、デヴィッド・ゲバードが南カリフォルニアの建築について著した、数多くの書やカタログのなかでも不朽の書である。シンドラーのもとでドラフトマンとして働いていたエッサー・マッコイによる初期の研究や、ゲバード自身が保存しているシンドラーの全原図を用いたこの書は、シンドラーの生涯を網羅し、彼の建築を的確に評価して近代建築史の文脈のなかで位置づけた、最初の、そして現在においても唯一のものである。

BOOKデータベースより

4.まとめ

建築家ルドルフ・シンドラーは、アメリカの近代を代表する建築家です。しかし、アメリカにおけるあまりに早いシンドラーのモダニズム建築は、結果的にシンドラーにとっては不遇の時代ともいえます。彼の本当の評価はなくなった後でした。ぜひとも、時代の先を突き進んだシンドラーの建築を見てほしいと思います。

注意説明 公共建築以外の場所の特定は行っていません。個人の所有物である住宅は、場所の特定をしないように配慮しております。ご了承くださいませ。

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