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建築家 岡田信一郎を知ろう! 明治生命館など

建築家 岡田信一郎は、東京出身の建築家です。歌舞伎座と明治生命館の設計者としてよく知られています。

本記事の内容

本記事では、建築家 岡田信一郎の略歴、代表作、書籍を紹介したいと思います。建築家 岡田信一郎は、東京出身の建築家です。教え子を見ると、今和次郎、今井兼次、吉田五十八、吉村順三がいます。4人とも私が好きな建築家であり、なんだかその師匠である岡田信一郎にとても興味を持ってしまいます。病弱で洋行できなかったと言いますが、どんな人柄だったのかとても気になりますので、今度しっかり調べてみようと思います。ここでは、岡田信一郎の代表作を概説します。

目次

  1. 建築家 岡田信一郎の略歴
  2. 建築家 岡田信一郎の代表作 紹介
    • 1924 鳩山一郎邸(現鳩山会館)
    • 1924 歌舞伎座
    • 1934 明治生命館
  3. 建築家 岡田信一郎の書籍 紹介
  4. まとめ

1.建築家 岡田信一郎の略歴

建築家 岡田信一郎は、1883年に東京で生まれました。

特に、鳩山一郎邸、歌舞伎座、明治生命館などの設計で知られています。 鉄筋コンクリートで和風のデザインを表現している歌舞伎座は当時画期的です。また明治生命館は、日本における古典様式建築の最高傑作と評されています。

高等師範学校附属中学校を卒業して、東京帝国大学工科大学建築学科へ入学します。大学院を終了したのちに1907年に東京美術学校講師となります。

東京美術学校では今和次郎、今井兼次、吉田五十八、吉村順三の更新の育成を行いました。いずれも、日本を代表する建築家となっています。

建築家 今井兼次

また、教え子である今和次郎がのちに早稲田大学で教職を得るきっかけともなります。

1911年に早稲田大学講師となり、その後教授として長く教職につきます。

建築家 岡田信一郎は、和風も洋風も両方ともこなす稀な建築家であったと言えます。歴史的な建築様式をどちらも熟知しており、体弱く洋行はしていないにもかかわらず、西洋建築をここまで使いこなす技量はすさまじいと思います。

関東大震災で大被害を受けたニコライ堂(ジョサイア・コンドル設計)や日本赤十字社本社(妻木頼黄設計)の修復も行っています。

1916年に建築学会の建築条例実行委員に就任し、建築法規の制定に尽力します。1931年に病気が悪化し早稲田大学を辞任して、享年50(満48歳)で亡くなりました。

2.建築家 岡田信一郎代表作 紹介

1924 鳩山一郎邸(現鳩山会館)

鳩山会館は、内閣総理大臣を務めた鳩山一郎の旧邸宅です。

文京区音羽にあり、音羽御殿ともいわれていました。当時としてはかなり珍しい鉄筋コンクリート造の洋館で、建築家 岡田信一郎の代表作の一つです。

装飾として、ハトやミミズクなどの鳥がモチーフとして多用されています。階段の踊り場には、五重塔の上を鳩が舞う大きな作品があります。

1階部分の応接間はイギリスの邸宅風ですが、部屋の境扉を解放することが可能である、部屋を連続して使えるような工夫があります。これは、日本家屋における襖を外して部屋を広く使うような工夫を西洋式に取り入れたものであり、岡田信一郎の設計の工夫が見られます。

サンルームが建物の南端にあり、庭に出ることができます。現在の2階大広間は、もともと寝室でしたが修復時に間取りを大きく変更しています。

鳩山一郎記念室は書斎として使用されていた部屋として残され、書簡、軍服を見ることができます。

1924 鳩山一郎邸(現鳩山会館) 建築家 岡田信一郎

1924 歌舞伎座

歌舞伎座は、東京都中央区銀座にある歌舞伎の劇場です。

歌舞伎座は1889年(明治22年)に開場し、これまで戦災を挟んで4度建て直されています。現在の建物は5代目のものです。

第1期から見ていきましょう!

第1期(1889年竣工)は木造で、外観はなんど西洋風でした。明治時代の雰囲気がよく出ています。建坪は457坪で、すべてヒノキ造りの3階建です。

観客席は3層あり、正面には桟敷があり花道から高土間へも通路がありました。また。桟敷席は明治時代の洋装の観客のことも考慮して蓋があり、蓋を取ると腰掛けとなったそうです。

1924 歌舞伎座 建築家 岡田信一郎

第2期(1911年竣工)は、第1期の建物の構造を利用しながら外観を大幅に変更しています洋風であった帝国劇場に対抗して、歌舞伎座は純和風となりました。

この当時の建築意匠の変遷は本当に面白いです。

1921年に、漏電事故によりたった10年ので焼失してしまいます。

1924 歌舞伎座 建築家 岡田信一郎

第3期(1924年12月竣工)が、岡田信一郎が設計となります。

岡田信一郎が得意とする和風の伝統様式を用いて、破風屋根が極めて特徴的な桃山様式風の外観です。

鉄骨鉄筋コンクリート造で、瓦葺きという和洋折衷の構造です。大部分は椅子席となり。定員は2500人となります。

1924 歌舞伎座 建築家 岡田信一郎

第二次世界大戦の東京空襲で、歌舞伎座は大きな被害を受けます。

1950年に歌舞伎座は、第4期となります。

第3期の構造とデザインを生かしながら岡田信一郎の教えであった建築家吉田五十八により修復されました。

収容人員は2,600人で、その後座席数を減らして2,000程度とします。

これが、私が知っている歌舞伎座です!

1924 歌舞伎座 建築家 岡田信一郎

そして、第5期は第4期のデザインを継承しながら、すべて新築となります。(時代ですね!)

背後にある複合ビルと一緒に新築されました。設計は隈研吾です。

座席数は1,808と、さらにゆとりを持たせる形になっています。

1924 歌舞伎座 建築家 岡田信一郎

1934 明治生命館

明治生命館は、1928年(昭和3年)に三菱第2号館(コンドル設計)の隣に明治生命社屋として建設されました。コンペで、岡田信一郎の案が採用されます。

岡田信一郎の代表作といえます。また兄弟の捷五郎が共に設計をしており、構造設計は内藤多仲です。

明治生命館の重厚さは東京においてとても象徴的な存在であったために、太平洋戦争後に連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)に接収されました。1956年に米国軍から返還されます。

1997年に重要文化財の指定を受けます。2001年の改修では隣接して高層の明治安田生命ビルを建設することで、この明治生命館の全面保存が出来ることになりました。これは本当に嬉しいですね。

大体の場合、ファサードのみ保存して他は高層ビルと一体化することが多いので全面保存は、日本では本当にすごいことなのです。

明治生命館の特徴は、なんと言っても5階分のコリント式列柱です。岡田信一郎による古典主義様式の真骨頂です。

1934 明治生命館 建築家 岡田信一郎

3.建築家 岡田信一郎の書籍 紹介

日本の建築明治大正昭和〈8〉様式美の挽歌

伊東忠太、大江新太郎、岡田信一郎、内田祥三、渡辺仁、桜井小太郎、鈴木禎次、佐藤功一、田辺淳吉、西村好時、高橋貞太郎などの様式美をふんだんに掲載しています。

岡田信一郎を含むこの時代の建築を一覧できるので、一冊あれば、しばらくは他の本を探さずに結構重宝します!

以下のうちの、第八巻です。

内容・概要 絶版になってかなりの年月が経過している。明治から今日に至るまでの日本建築の過程を建築史家たちの解説と写真、図面により構成している。

■構成(全巻 企画・構成 村松貞次郎、写真 増田彰久)

・第一巻 開化のかたち 解説 越野武

・第二巻 様式の礎 解説 小野木重勝

・第三巻 国家のデザイン 解説 藤森照信

・第四巻 議事堂への系譜 解説 長谷川尭

・第五巻 商都のデザイン 解説 坂本勝比古

・第六巻 都市の精華 解説 山口廣

・第七巻 ブルジョワジーの装飾 解説 石田潤一郎

・第八巻 様式美の挽歌 解説 伊藤三千雄+前野まさる

・第九巻 ライトの遺産 解説 谷川正己 ・第十巻 日本のモダニズム 解説 近江栄+堀勇良

Amazonより

4.まとめ

建築家 岡田信一郎は、近代の日本建築を代表する建築家のひとりです。有名な明治生命館の周辺を歩くと、ここが日本であることを忘れてしまうような不思議な気持ちになります。この建物を初めて見た昭和初期の人たちは、それはびっくりしたことと思います。一方で、日本が西洋に追いつこうとしていたいう気概も感じます。それにしても、その近代への憧れと象徴が、ギリシアの古典様式であったのは、なんだかとても時代を感じます。

注意説明 公共建築以外の場所の特定は行っていません。個人の所有物である住宅は、場所の特定をしないように配慮しております。ご了承くださいませ。

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