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建築家 ジョサイア・コンドルを知ろう! 鹿鳴館/三菱一号館など

建築家 ジョサイア・コンドルは、イギリスのロンドン出身の建築家です。明治政府のお抱え建築家として日本の建築家の養成を行ったことでも有名です。

本記事の内容

本記事では、建築家ジョサイア・コンドルの略歴、代表作、書籍を紹介したいと思います。建築家ジョサイア・コンドルは、明治初頭に20代半ばに来日し、多くの欧風建築を設計します。工部大学校の教授職に招かれたとはいえ、イギリスから考えるとかなりの辺境の地です。ロンドンに住む家族と別れて日本に来る気持ちはどんなだったでしょう。この建築家ジョサイア・コンドルがいたからこそ、今の日本の近代建築に繋がります。もし建築家ジョサイア・コンドルがいなかったら、あるいは別の人だったらどうなっていたか考えてみると、面白いですね。

目次

  1. 建築家 ジョサイア・コンドルの略歴
  2. 建築家 ジョサイア・コンドルの作品
    • 1883 鹿鳴館
    • 1894 三菱一号館
    • 1896 旧岩崎邸庭園洋館
  3. 建築家 ジョサイア・コンドルの書籍 紹介
  4. まとめ

1.建築家 ジョサイア・コンドルの略歴

建築家ジョサイア・コンドルは、明治政府のお抱え建築家として活躍し、また日本における初めての「THE 建築家(辰野金吾など)」を育てた教育者でもあります

ジョサイア・コンドルは1852年にロンドンで生まれました。父は銀行員で、家族や親族には聖職者・技術者・芸術家などがおり裕福な家庭でした。

商業学校を卒業した後、1869年からサウスケンジントン美術学校とロンドン大学で建築学を学びます。1873年からウィリアム・バージェスの建築事務所で修行します。退所後、1876年に「カントリーハウスの設計」でソーン賞を受賞ました。

すこし、このソーン賞について説明します。

英国王立建築家協会のソーン賞は、有名な建築賞のひとつです。この賞は、建築家ジョン・ソーンから来ています。

建築家 ジョン・ソーンを知ろう! サー・ジョン・ソーンズ美術館など

ジョン・ソーンは、1753年生まれのイギリスの新古典主義建築を代表する建築家です。ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ(王立芸術院)に入学して、後に母校の教授になります。代表作の一つの自邸は、古代の建築用の部材や彫刻などのコレクションが多数あり、現在、サー・ジョン・ソーンズ美術館として公開されており、大変面白いです。

話は戻って、その後ジョサイア・コンドルは工部大学校の建築学教授となります。細かい経緯は不明ですが5年契約で建築学教授職に就任しました。

1877年(明治10年)に来日します。25歳のときです。工部大学校造家学教授と工部省営繕局顧問の両方の職に付きます。

ジョサイア・コンドルは日本文化にも強い興味があり、1881年(明治14年)には日本画家の河鍋暁斎に入門します。

1883年(明治16年)に、代表作である鹿鳴館が竣工します。5年間の契約終了の後、工部大学校の教授を退官します。

教授職はたった5年間です。かなり短いですね。ジョサイア・コンドルの後任として、ジョサイア・コンドルの最初の教え子であった辰野金吾が教授に就任します。

1886年(明治19年)に帝国大学工科大学講師となり、1888年(明治21年)に講師を辞任してから建築事務所を開設します。1891年(明治24年)には、御茶ノ水のニコライ堂が竣工します。1894年(明治27年)に、三菱一号館が竣工します。

1893年(明治26年)、ジョサイア・コンドルが41歳のときに舞踊家であった前波くめと結婚します。1920年(大正9年)に67歳で逝去します。

2.建築家 ジョサイア・コンドル代表作 紹介

1883 鹿鳴館

鹿鳴館は、ジョサイア・コンドルの代表作であり1883年(明治16年)に竣工しました。

鹿鳴館の建設計画は外務大臣井上馨によって進められました。欧米風の社交施設を建設することで、外国に日本の近代化を示す必要あったのです。

設計はジョサイア・コンドルで、施工は土木用達組が担当しました。煉瓦造の2階建てあり、有名な舞踏室は2階にありました。1階は、大食堂、談話室、書籍室などです。

この鹿鳴館は民間に払い下げられた後、残念ながら1940年に取り壊されます。残っていたらどんなに良かったでしょう。1940年は戦争の真っ只中であり、文化財保護なんていう意識は、まったくなかったのでしょう。

建築家谷口吉郎は、この鹿鳴館の滅失を電車から見たことから、後に「明治村」の実現につながったと言っています。

1894 三菱一号館

三菱一号館は、1894年(明治27年)に竣工します。建設工事には曽禰達蔵があたりました。丸の内に建設された洋風の事務所建築(イギリス・クイーンアン様式)の最初の例であり、煉瓦造です。入居していたのは、銀行、商社、郵便局です。この建物も1968年(昭和43年)に解体されました。

平面計画の特徴は、長屋風の割付となっていて玄関・階段・便所などがテナントごとにある点です。水回りの施設が共有されていません。こうした点も当時の建物に関する意識が垣間見られます。

今なら、共有部分を増やし、個別のメンテナンスを少なくする方向が多いです。当時の入居者の価値観は面白いですね。

1896 旧岩崎邸庭園洋館

旧岩崎邸庭園洋館は、1896年(明治29年)に竣工しました。この西洋館は、岩崎家の迎賓館でした。木造2階建であり、スレート葺きの屋根、外壁は下見板張りです。

正面玄関のある部分は、塔屋となっています。また南側には1階、2階とも広いベランダがあり庭につながるため、目線も通りとても気持ちの良い空間です。

全体的には、17世紀のジャコビアン様式ですが、ベランダ部分にはコロニアル様式、天井、床、暖炉にはイスラム風のデザインが表れるなど、折衷したデザインとなっています。

現在当時の壁紙は失われていますが、2階の部屋には金唐革紙が復元されています。

3.建築家 ジョサイア・コンドルの書籍 紹介

ジョサイア・コンドル (日本語) 

コンドルの設計した建築は一通り網羅されています。入門書として最適です!!

お雇い外国人として明治10年に来日し、日本の近代建築の基礎を築いたジョサイア・コンドル。 2010年の没後90年を機に、1997年に東京ステーションギャラリーで開催された 『鹿鳴館の建築家 ジョサイア・コンドル展』の図録を増補改訂。

Amazonより

4.まとめ

建築家ジョサイア・コンドルは、日本の近代建築の礎を作った人です。イギリスから日本に来て、生涯日本で過ごすことになりました。最初は日本語も喋れなかったでしょうから、生活は大変だったと思います。工部大学校の1期生には片山東熊や辰野金吾がいます。ジョサイア・コンドルが工部大学校の教授をやっていたのは5年間だけなので、きっと授業はすべて英語だったのでしょう。そう考えると、当時のほうが遥かに国際的だったのかもしれません。

注意説明 公共建築以外の場所の特定は行っていません。個人の所有物である住宅は、場所の特定をしないように配慮しております。ご了承くださいませ。

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