建築家林昌二は、東京都小石川出身の建築家です。生まれも育ちも東京で、その東京であたらしい都市風景を作り出しました。
本記事の内容
本記事では、建築家 林昌二の略歴、代表作、書籍を紹介したいと思います。建築家 林昌二は、日本の近代を代表する建築家です。組織設計事務所に勤めながら、建築家としてその名を知らしめた最初の人物といえるかもしれません。組織事務所ならではの大規模建築がメインで、東京の新しい都市風景を作り出しました。
目次
- 建築家 林昌二の略歴
- 建築家 林昌二の代表作 紹介
- 1962 三愛ドリームセンター
- 1966 パレスサイドビルディング
- 1971 ポーラ五反田ビル
- 建築家 林昌二の書籍 紹介
- まとめ
1.建築家 林昌二の略歴
建築家 林昌二は1928年に東京都小石川区で生まれました。1953年に東京工業大学工学部建築学科を卒業して、株式会社日建設計に入社します。その後、三愛ドリームセンター、パレスサイドビルディング、ポーラ五反田ビルなどの代表作を設計します。組織設計事務所で、設計者の名前が前面に出てきた初期の事例と言えます。
1971年に竣工したポーラ五反田ビルで日本建築学会賞作品賞を受賞します。夫人は、建築家である林雅子で1981年に女性として初めて日本建築学会賞を受賞したことでも知られています。
1973年に日建設計の取締役となり、その後副社長となります。2011年に83歳で亡くなります。
2.建築家 林昌二の代表作 紹介
1962 三愛ドリームセンター
三愛ドリームセンターは、東京都中央区の銀座にある商業施設です。
クライアントは、リコーの創業者である市村清です。1946年に建てた地上2階建ての三愛ビルの建て直し計画です。建物の中心に大きなガラスの柱を立てたビルです。特に竣工時には、周りに高いビルがなかったこともあり極めて象徴性の高い建物でした。
建設時は、中央のエレベーターの軸を配置し、円盤状の床板を上部から取り付けるという工法の工夫もしています。
現在も銀座のランドマークとして使用されており、2003年にDOCOMOMO Japanから「日本におけるモダン・ムーブメントの建築」に選定されています。
1966 パレスサイドビルディング
パレスサイドビルディングは、竹橋駅前にあるビルで1966年に竣工しました。
建設予定地にはアントニン・レーモンドが設計したリーダーズ・ダイジェスト東京支社ビル(1951年竣工)が建っていましたが、1963年に取り壊されました。
その跡地にパレスサイドビルディングが建設されることとなりました。建物は地上9階で、道路と日本橋川の間の細長い敷地形状をしています。建物は2棟をずらして平行に配置し、それぞれのビルの外側端部に2本の円柱状のコア(エレベーター、トイレ、階段)があります。
竹橋駅に直結し毎日新聞東京本社が入居しています。地下1階・地上1階にはレストラン街などがあります。
1960年代を代表する大規模な複合オフィスであり、日本近代建築の傑作として有名です。
施設の老朽化から1990年から改修されて、ロングライフビル部門でBELCA賞を受賞し、またDOCOMOMO Japanより日本の近代建築20選に選定された。
1971 ポーラ五反田ビル
ポーラ五反田ビルは、東京都品川区にあり化粧品メーカーのポーラの本社ビルです。1971年に竣工しました。建物の両サイドにコア(エレベーターや階段)を要して、その両コアの間に約38mという超スパンの鉄骨梁を渡しているのが特徴です。
この構造により、オフィス部分が無柱となり自由な平面配置を可能としています。また、正面側の最上階はキャティーレバーで前方に持ち出しており、深い影を作り印象的なファサードとなっています。
1971年に第23回日本建築学会賞作品賞を受賞し、その後1973年に第14回BCS賞を受賞しています。また、2013年にはDOCOMOMO Japanより「日本におけるモダン・ムーブメントの建築」に選定されました。
3.建築家 林昌二の書籍 紹介
林昌二 毒本
林昌二の設計に関わる活動を収録しています。林昌二自身が紹介してるのでわかりやすく、入門書として最適です!!
住宅から超高層まで数多くの建築をつくり、思いを書き続けた、建築家・林昌二の五〇年の全活動を収録。
Amazonより
4.まとめ
建築家 林昌二は、日本の近代を代表する建築家です。奥さんが林雅子で、女性の建築家として最初に建築学会賞を取りました。お互いが独立しながら、別々に活躍していたという事例は、世界でも殆どないのではないでしょうか。大抵はパートナーとして、一つの設計事務所を経営している場合が多いので、林昌二・雅子夫妻の活躍はすごいですね。