建築家 安藤忠雄は、大阪出身で独学で建築を学んだ日本を代表する建築家です。初期の有名な「住吉の長屋」で建築学会賞を受賞しています。世界で活躍する日本の現代建築家の先駆けとなりました。
本記事の内容
本記事では、建築家 安藤忠雄の略歴、代表作、書籍を紹介したいと思います。安藤忠雄は、元ボクサーで独学で建築を学んで世界で活躍する建築家となったという異色の経歴を持っています。話もとても面白く、クライアントもこの人に依頼するときっと面白いものができるに違いないと思わせるものがあります。それでは、経歴と代表作を見てみましょう。
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目次
- 建築家 安藤忠雄の略歴
- 建築家 安藤忠雄の作品
- 住吉の長屋
- 光の教会
- 地中美術館
- 建築家 安藤忠雄の書籍 紹介
- まとめ
1.建築家 安藤忠雄の略歴
1941年に大阪府大阪市生まれました。三人兄弟です。
安藤忠雄の双子の弟は、北山創造研究所を経営する北山孝雄です。
大阪府立城東工業高校を卒業して安藤忠雄はプロボクサーのライセンスを取得してプロデビューします。その後、ジムに来ていたファイティング原田の練習を見て、「これはプロは無理だな」と、ボクシングから引退します。
前衛美術などに興味を持っていましたが、大学には通えなかったため建築の専門教育は受けていません。独学で建築士試験に合格しました。
24歳の時にアメリカ、ヨーロッパ、アフリカ、アジアへ放浪の旅に出ます。マルセイユから帰国の船に乗ります。船での旅が時代を感じますね。
ヨーロッパを回った後に、ケープタウン、マダガスカルを経由して、インド・ムンバイで下船してベナレスまで行っています。今も変わらず、ガンジス川では牛が泳ぎ、死者がガンジス川を流れ、多くの人々が沐浴しています。ここで、強烈な「生きること」の体験をします。
インドはやはりすごいですね。いろんなひとに影響を与えています。
1970年代から個人住宅などの小規模建築を皮切りに設計を行い、1980年代には商業施設、寺院・教会などを行います。1990年代以降から現在までは、公共建築、美術館建築が多く、海外の仕事も多くあります。
2.建築家 安藤忠雄の代表作 紹介
住吉の長屋
住吉の長屋は、建築家安藤忠雄の初期の代表的住宅作品です。
1976年2月竣工しました。大阪市住吉区に位置していて、長屋の真ん中の1軒を切り取って、建物の中心部を中庭としています。
構造は、鉄筋コンクリートの壁構造です。工費予算は解体費を含めて1000万円と言われています。入り口では採光のための窓がないですね。外部に対して、閉じています。一方で、中庭を作ることによって通風や採光を確保しています。
玄関から内部に入ると居間が配置され、そこから台所や2階の寝室に行くには中庭を通らねばなりません。生活はなかなか厳しいです、
しかし、安藤忠雄はこうした一般的な豊かな空間、つまり機能性や便利さ追求することに疑問を持ち、生活という行為に必要なものを突き詰めていきました。
建築設備に頼る今とは逆方向ですね。
冬の寒さに耐える施主に対して「ジムに行け」と言っているとの話もあります。どこまで本当かはわかりませんが、生活空間に一般的な快適さを求めるのではない方向性は、ルーチン化する生活に刺激を与えてくれることは間違いないでしょう。
しかし、こういった空間を作ることに施主を納得させることがすごいですね!
光の教会
光の教会こと茨木春日丘教会は、プロテスタントの日本基督教団に所属する教会です。この教会の礼拝堂が安藤忠雄により設計されて、1989年に竣工しました。1996年に国際教会建築賞を受賞しています。
建物は打放しコンクリートによる壁構造です。礼拝堂の背面に十字架状のスリット窓があいています。これがとにかく一番の特徴です。
スリット窓には現在はガラスがはめ込まれていますが、元々はガラスを付ける予定がなかったのです。プロテスタントの教会堂建築らしく、極めて簡素な礼拝堂ですね。
教会なので、ミサ以外の時間帯には、ゆっくりと見ることができます。
地中美術館
地中美術館は、瀬戸内海の直島にある公益財団法人福武財団が経営する美術館です。世界的に有名な3人の作家、クロード・モネ、ウォルター・デ・マリア、ジェームズ・タレルの作品のみを展示しています。基本的には作品の入れ替えのない恒久展示です。
それぞれの作品ごとに、作品を最大限に体感できる安藤建築による空間が作られていますので、是非行ってみましょう。芸術作品と空間が一体となっている点が特徴で、空間体験の重要性がよくわかります。
収蔵品は以下の通り
- ウォルター・デ・マリア
- 「タイム/タイムレス/ノー・タイム」 2004年制作
- ジェームズ・タレル
- 「アフラム、ペール・ブルー」1968年制作
- 「オープン・フィールド」2000年制作
- 「オープン・スカイ」2004年制作
- クロード・モネ
- 「睡蓮の池」2枚組、1915年〜1926年制作
- 「睡蓮」1914年〜1917年制作
- 「睡蓮の池」1917年〜1919年制作
- 「睡蓮-柳の反映」1916年〜1919年制作
- 「睡蓮-草の茂み」1914年〜1917年制作
3.建築家 安藤忠雄の書籍 紹介
安藤忠雄の建築 1
このシリーズは、安藤忠雄建築の流れを知るのに最高の一冊です。まずは、初期のデビュー作からの基本建築をみてみましょう!
「住吉の長屋」「小篠邸」「六甲の集合住宅」「4×4の住宅」などデビュー作から最新作まで21作品を収録。
「BOOK」データベースより
建築家 安藤忠雄
安藤忠雄の初の自伝になります。読み物的に、安藤忠雄の考え方、暮らし、生活、建築への取り組みなど、安藤ワールドを是非ご覧あれ。建築を知らない人も読みやすいですよ。
建築で闘い続ける男、初の自伝。
「BOOK」データベースより
安藤忠雄 建築を語る
大学時代に読みましたが、やはり建築を考え上で貴重な一冊です。元気になる本です。また読み返してみたいですね。
第一線で活躍する建築家の言葉を通して,「建築とは何か」を考えるためのヒントを与えてくれる一冊 建築をまったくの独学で学びながら,コンクリート打放しによる単純で研ぎ澄まされた作品を次々に発表し,今や世界的に著名な建築家の一人となった筆者は,1997年,アカデミズムの頂点に位置する東京大学の建築学科教授に迎えられる。
本書は,その東京大学大学院において学生に向けて語られた講義を元にまとめられた貴重なドキュメントである。 1941年,大阪に生まれた筆者の20代はそのまま激動の1960年代に重なる。この講義では,そうした時代を文明史的な視点から振り返る一方で,15歳で自宅の増築を手がけて建築の世界に目を開いたこと,F・L・ライトの帝国ホテルの空間に衝撃を受けたこと,正規の建築教育を受けることなくモダニズムのリーダーになったル・コルビュジエの生き方に自らの境遇を重ねて勇気づけられたこと,そして,日本全国を手始めに世界中を駆け巡った建築巡礼の旅から学んだことなど,無名の若者が大きく揺れ動く時代の下でいかにして建築家を目指すに至ったか,が率直な言葉で語られている。
そこには,また,同時代の前衛芸術家に触発される中から,既存の枠組みに果敢に挑戦していく筆者の基本姿勢が形づくられたことも明らかにされていて興味深い。 こうして,筆者は,自分史を織り混ぜながら,1976年のデビュー作「住吉の長屋」から最新作の「淡路夢舞台」まで,その四半世紀に及ぶ活動から生み出された作品の創作プロセスとそこに込められた思いを披露していく。 中でも圧巻なのは,それらプロジェクトの大半が,実は,当初の計画にはなかったものの実現であるという点だ。そこには,与えられた条件を自由に読み替えて構想をふくらます腕力と,それに裏打ちされたドローイングの表現力があったに違いない。 おそらく,建築家とは,かくも大胆に建築的イメージを飛翔させ,ときには現実すらも動かしてしまう粘り強い精神の持ち主なのか,と驚かされることだろう。
彼はこう述べている。 「建築は社会的,法的規制からは逃げられません。しかし,その建築においても何を第一に優先させるかと問われたら,私は考える自由をもち続けることと答えたい」ここには,建築を考えることの難しさと喜びとが同時に語られている。本書から受け取れる最大のメッセージだと思う。 けれども,一方で,その明快な語り口に一抹の不安が残ってしまうのも事実だ。筆者の示す建築家像のかっこよさには憧れつつも,社会が急速に作り続ける力,前進する勢いを失い,どこかにいやしさえ求め始めている中で,はたして建築だけがこの先どこまで元気でいられるのか。あるいは,阪神・淡路大震災でも明らかになったように,筆者が常に闘い挑戦してきた都市が,むしろ心のよりどころでもあり,守り慈しむ対象でもあったと見直されつつあるとき,建築の作り方はどう変わるのか。
それへの回答は,筆者への期待を超え,現在の建築の大きなテーマそのものであるに違いない。
(京都工芸繊維大学 工芸学部造形工学科 助教授 松隈 洋) (Copyright©2000 ブックレビュー社.All rights reserved.)
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4.最後に
安藤忠雄は、建築を勉強した人ならば誰もが知っている建築家です。今では、国立競技場のコンペの会見などで、日本中の人が知っていると思います。建築設計業界や学生の間では、なかなか「安藤忠雄が好き!」と言う人は少ないような気がします。それは、あまりに世界的に有名で、かつ王道的な部分があり、玄人好みではないからかもしれません。しかし、安藤忠雄の考え方、建築への取り組み、実際には建築への向かい合い方が示されています。その意味で、私のとっても重要で、そして「好きな」建築家です。