建築家 フィリップ・ジョンソンは、米国のオハイオ州出身の建築家です。ニューヨークの近代美術館のキュレーターから建築家になりました。世界を代表する建築家です。
本記事の内容
本記事では、建築家フィリップ・ジョンソンの略歴、代表作、書籍を紹介したいと思います。建築家フィリップ・ジョンソンは、父親から莫大な資産を受け継いで、建築家となりました。特に、処女作であるグラスハウスは圧巻です。思想と建築が融合した建築ですが、実際に住むのは結構大変そうです。ポストモダン建築を牽引したことでも知られています。まずは実際のの建築を見てみましょう!
目次
- 建築家 フィリップ・ジョンソンの略歴
- 建築家 フィリップ・ジョンソンの作品
- 1949 自邸・ガラスの家
- 1984 AT&Tビル
- 1984 PPGプレイス
- 建築家 フィリップ・ジョンソンの書籍 紹介
- まとめ
1.建築家 フィリップ・ジョンソンの略歴
建築家フィリップ・ジョンソンは、1906年にオハイオ州で生まれました。父親は弁護士でした。ニューヨーク州で青年時代を送り、ハーバード大学に進学します。ハーバード大学では、ギリシャ語、言語学、哲学を学びます。特に、哲学の研究にのめり込んだそうです。
フィリップ・ジョンソンは、ヨーロッパで重要な古典とゴシック建築を回るグランドツアーを行います。また、1928年にフィリップ・ジョンソンは建築家ミース・ファン・デル・ローエに会いに行きます。このとき、ミース・ファン・デル・ローエが42歳、フィリップ・ジョンソンは22歳です。ミース・ファン・デル・ローエは当時1929年に竣工するバルセロナ・パビリオンを設計していた時期です。こう考えると、フィリップ・ジョンソンがミース・ファン・デル・ローエを尊敬し、生涯に渡る関係がここから生まれたのがわかります。
1930年、24歳のときにフィリップ・ジョンソンはニューヨーク近代美術館の建築部門に入ります。1932年に、建築史家であるヘンリー=ラッセル・ヒッチコックとアルフレッド.バールJr.と近代建築の展覧会「モダン・アーキテクチャー」を開催しました。
1941年の35歳のときにハーバード大学大学院に進学して、マルセル・ブロイヤーとヴァルター・グロピウスに元で建築を学びました。1941年12月には、アメリカが第二次世界大戦に参加したため、ジョンソンは陸軍に入隊します。
ドイツでのナチス政権が実権を握りマルセル・ブロイヤーやミースファンデルローエが迫害される時期、フィリップ・ジョンソンはアメリカへの移住を手助けしました。
戦争が終わり、1946年から1954年には、ニューヨーク近代美術館(MOMA)のキュレーターに再就任します。1947年に「ミース・ファン・デル・ローエ」展をアメリカで初めて開催します。また、その後ミースのシーグラム・ビルディングの設計にも協力します。
1978年に、アメリカ建築家協会の金賞を受賞し、1979年には最初のプリツカー建築賞を受賞しました。1984年には代表作であるAT&Tビルで、ポスト・モダニズム建築を浸透させます。
2005年に98歳で逝去します。
2.建築家 フィリップ・ジョンソンの代表作 紹介
1949 自邸・ガラスの家
フィリップ・ジョンソンの自邸であるガラスの家(グラスハウス)は、コネチカット州ニューカナンにあります。1949年に竣工です。
ガラスの家は、時代としてはガラスや鋼鉄などを住宅設計における産業資材とした初期の例です。ジョンソンはこのグラスハウスで58年間住んでいました。また、美術評論家であり彼の長年のパートナーであったデービッド・ホイットニーも一緒でした。
ガラスの家は、ミース・ファン・デル・ローエを含む1920年代のドイツの建築家から多くの影響を受けています。その中にはファーンズワース邸も入っています。1947年に近代美術館で開催したミース・ファンデル・ローエ展では、ガラスのファーンズワースハウスの模型を展示しました。そこでは、最小限の構造、形状が強調されており、まるでガラスの家そのものです。
ガラスの家は傾斜地からなだらかになった場所にあり、石垣から池を見下ろしています。建物の長さは17 m、幅9.8 m、高さ3.2 mです。キッチン、ダイニング、寝室があり、シャワーだけが不透明の丸いシリンダーの中にあります。外装は、木炭塗装のスチールとガラスだけです。
ジョンソンは、ガラスの家の眺めは「壁紙」であると言いました。そうしてみると、グラスハウスは透明なのではなく、緑の壁紙に覆われています。ジョンソン自身も、「私は最も高価な壁紙を持っている」と言っています。
ジョンソンの思想と、それを具現化する敷地と建築の関係がとてもおもしろいです。
1984 AT&Tビル
AT&Tビルは、フィリップ・ジョンソンとパートナーのジョン・バーギーによって設計され、1984年に竣工しました。象徴的なビルの最上部の装飾が有名であり、またこれが議論の的(「チッペンデール」と言われて嘲笑された)となりました。インターナショナルスタイルの、フラットなトップデザインと大きく違います。また、七階の高さを持つアーチ・エントランスは、利用者に開放されています。
しかし、こうした装飾性こそが、味気のない機能主義や効率性を追求した(ある意味でつまらない)モダニズム建築を打破するものとして、フィリップ・ジョンソンの新たな挑戦でした。またこのビルによって世界全体で始まっていたポストモダン建築運動を正当化したともいわれています。
1984 PPGプレイス
PPGインダストリーズの本社として、フィリップ・ジョンソンとジョン・バージーの設計により1984年に竣工しました。このビルは、デザイン様式としてはネオゴシックですが、近代的な複合施設として、リチャードソンのアレゲニー郡庁舎なども参照されています。
建物は231本のガラスの尖塔が有名で、最大のものは25メートルもあります。また、反射絶縁ガラスの使用も特徴です。PPG Placeは40階建てのタワーであり、他にも14階建ての建物と4つの6階建ての構造物も含まれています。
この建築デザインは、PPGインダストリーズの方向性を明確にするだけでなく、設備的には高いエネルギー効率を生み出しています。夏の熱はガラスによって建物から反射され、冬は赤外線の熱を建物内に閉じ込めます。表面の壁は、内壁と外壁を効果的に分離するバリア構造を備えています。また、建物はコンピューター機器から熱を集め、構造物全体でリサイクルしています。
3.建築家 フィリップ・ジョンソンの書籍 紹介
インターナショナル・スタイル (SD選書 139)
建築家になる前の、フィリップ・ジョンソンの記念碑的な著作です。なるべくして、建築家になったように思います。
近代建築運動の真只中にあった1932年に発せられた記念碑的な著作、「インターナショナル・スタイル」。建築のみならず、モダニズムの可能性を再考する上での必読の古典的名著といえる。
Amazonより
- 単行本: 232ページ
- 出版社: 鹿島出版会 (1978/1/1)
- 言語: 日本語
- ISBN-10: 4306051390
- ISBN-13: 978-4306051393
- 発売日: 1978/1/1
4.まとめ
建築家フィリップ・ジョンソンは、米国出身の世界を代表する建築家です。近代建築から現代建築まで、建築の変遷をたどると、さまざまなところにフィリップ・ジョンソンが登場します。コルビジェが世界に知られるようになったニューヨークの近代美術館の建築展覧会「モダン・アーキテクチャー」を企画したのもフィリップ・ジョンソンです。歴史の証人のようなフィリップ・ジョンソンの作品を見るととても面白いです。是非、実物を見に行きましょう!