吉村順三は、東京出身で東京美術学校(現:東京芸術大学)出身で、その後レーモンド事務所でモダニズム建築を学んだ日本を代表する建築家です。
レーモンド事務所でモダニズム建築を会得するとともに、レーモンドに日本建築を教授したと言われています。
本記事の内容
本記事では、建築家吉村順三の略歴、代表作、書籍を紹介したいと思います。吉村順三は住宅設計の名手として知られていますが、公共建築も多く設計しています。アントニン レーモンドに師事しました。時代を超えて吉村順三設計の住宅に住んでみたいと思わされるすばらしい空間です。
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目次
- 建築家 吉村順三の略歴
- 建築家 吉村順三の作品
- 軽井沢の山荘
- 〈脇田美術館〉アトリエ山荘
- 皇居新宮殿基本設計
- 俵屋
- 八ケ岳高原音楽堂
- 愛知県立芸術大学
- ソルフェージスクール
- 建築家 吉村順三の書籍 紹介
- まとめ
1.建築家 吉村順三の略歴
吉村順三は1908年に東京で生まれました。日本の初期のモダニズム建築を代表する建築家です。
東京美術学校(現東京藝術大学)で建築を学んだのちアントニン・レーモンドに師事し、1941年に吉村順三設計事務所を開設します。
また吉村順三とレーモンド(1888年生まれ)は20歳ほど歳が離れていましたが、吉村順三が日本建築をレーモンドに教えるという側面もあったようです。
多くの和風と近代様式を折衷したモダニズム住宅を多く手掛けたことで知られています。吉村順三が手掛けた住宅は、今も住み続けられているものが多いです。
軽井沢にある自身の別荘「軽井沢の山荘」はとても有名です。
1962年に東京藝術大学教授となり、1990年に日本芸術院会員となります。
1998年に90歳で死去します。
2.建築家 吉村順三の代表作 紹介
デザインに対する姿勢は、吉村順三の特徴です。吉村順三は、自身のデザインについて語ることが少なかったと言われています。つまり、彼は作品そのものが語るべきだと考えていたようです。そのため、彼の建築作品はシンプルでありながらも深い意味を持つものが多いです。
戦前戦後を挟んで、アメリカとの関係も重要でしょう。吉村順三は、第二次世界大戦を挟んで日本とアメリカの両方で活動していました。彼の作品には、アメリカでの設計経験が反映されており、特に自然との調和を重視したデザインが特徴です。
特に、ペンシルベニア州ニューホープでの活動は特筆すべき事項です。
1940年、吉村順三はアントニン・レーモンドに招かれ、ペンシルベニア州ニューホープに滞在しています。この期間は約14か月間で、開戦の直前まで続きました。レーモンドとの共同作業を通じて、吉村はアメリカの建築文化を深く学びました。この経験は彼の設計思想に大きな影響を与えています。また、吉村順三はニューホープでの生活や活動をスナップ写真として記録しており、これらの写真は彼の設計思想やアメリカでの経験を物語る重要な資料となっています。
吉村順三のニューホープでの活動や設計に関する情報は、様々な展覧会で紹介されています。例えば、「建築家・吉村順三の眼(まなざし)—アメリカと日本—」展では、彼のアメリカでの経験が詳しく紹介されています。
吉村順三は、第二次世界大戦をはさんで日本とアメリカを行き来し、日本の建築文化をアメリカに伝えた建築家です。アメリカのニューホープでアントニン・レーモンド夫妻と暮らした経験をもとに、戦後はアメリカのモダンライフを日本の建築に取り込み、作品を通じてアメリカに紹介しました。本展では、吉村がアメリカで担当した作品から、芸術家等との交流により生まれた日本の作品までを、スケッチや写真、映像を交えて紹介し、その業績を明らかにします。
Gallery A4
アメリカでの経験を経て、吉村順三の日本で活動は以下様な特徴があるといえます。
- 自然との調和を重視した設計:アメリカで学んだ自然との調和を重視する設計思想を日本の建築に取り入れました。例えば、軽井沢の別荘や茶室など、自然環境と一体化した建築物を設計しました。
- 木材の使用:アメリカで学んだ木材の使用方法を日本の伝統的な建築技術と融合させました。木材の美しさを活かしたシンプルで機能的なデザインが特徴です。
- 国際的な視点:アメリカでの経験を通じて得た国際的な視点を持ち、日本の建築に新しい風を吹き込みました。吉村の設計は、日本の伝統と西洋のモダニズムを融合させた独自のスタイルを確立しました。
吉村順三の妻である大村多喜子は米ジュリアード音楽院初の日本人留学生であり、バイオリニストです。大村多喜子が開校した「ソルフェージスクール」も、吉村順三の設計です。吉村はその活動を建築とデザイン(教材やポスターなど)で支えました。このように、彼は家族との協力を大切にしていました。そうした家族を大事にする意識が、設計に反映しているように思います。
吉村順三は、東京藝術大学の教授として、多くの後進を育成しました。彼の教育方針は実践的な経験を重視し、学生たちに現場での学びを奨励するものでした。彼の教え子たちは、後に日本の建築界で重要な役割を果たすことになります。
こうしたエピソードから、吉村順三がどのような人物であったか、そして彼の建築に対する姿勢や家族との関係が垣間見えるかと思います。
軽井沢の山荘
吉村順三が手がけた軽井沢にある自身の別荘です。建築を勉強したことのある学生で知らない人はいないでしょう。吉村順三自身が、「心地よい空間をつくること」の意味を体現しています。
図面や写真にとどまらず、なんどもトレースを行ったことがあるのではないでしょうか。
コンクリートと木造の混構造、配置、プラン、片流れの屋根、2階からの景色など目に焼き付いていることと思います。機会があればぜひとも行ってみましょう!
軽井沢の山荘の特徴
彼の作品の中でも「軽井沢の山荘」は特に有名です。この山荘は1962年に設計され、軽井沢の自然環境と調和したデザインが特徴です。
山荘は周囲の自然環境と一体化するように設計されています。建物は木材を多用し、自然の景観を損なわないように配慮されています。
建物の2階部分全体がコンクリートの構造体によって持ち上げられており、地面との接触を最小限に抑えています。これにより、湿気や地面からの影響を避けることができます。
吉村順三のデザインはシンプルで機能的です。無駄のない美しさが特徴で、内部空間も開放的でありながらプライバシーが保たれています。
大きな掃き出し窓が設置されており、室内から外の景色を楽しむことができます。これにより、室内と外部の境界が曖昧になり、自然との一体感が増します。
木材や和紙などの自然素材を多用し、温かみのある空間を作り出しています。これにより、建物全体が自然と調和し、居心地の良い空間が生まれています。
歴史と背景
- 建設年: 1962年
- 所在地: 長野県北佐久郡旧軽井沢町
- 構造: 1階は鉄筋コンクリート造、2階は木造
- 設計の意図: 吉村順三は、自然との共生を重視し、建物が周囲の環境と調和するように設計しました。彼の設計理念は、シンプルでありながら機能的で、美しい空間を作り出すことにあります。
〈脇田美術館〉アトリエ山荘
脇田美術館は、旧軽井沢に位置しており、脇田和のアトリエ山荘は1970年に脇田和の友人である吉村順三氏の設計によって建てられました。この山荘は日本のモダニズム建築として知られています。洋画家の脇田和氏の作品を所蔵・展示する個人美術館であり、脇田美術館の展示室から中庭を囲むように、脇田が長年軽井沢の自然に親しみながら制作したアトリエ山荘が配置されています。
- 脇田和(わきた かず)って誰ですか?
- 日本の洋画家であり、軽井沢を拠点に活動したアーティストです。脇田和は日本画家の父を持ちながらも、洋画家として独自のスタイルを築きました。彼の作品は、自然や風景をモチーフにした静かで繊細な表現が特徴であり、軽井沢の自然環境にインスパイアされた作品が多くあります!
- 脇田和は、日本の美術界で高い評価を受け、多くの作品が美術館やコレクションに収蔵されています。その独自の世界観が魅力です!
アトリエ山荘は吉村順三氏によって設計され、洋画家のアトリエ兼山荘として機能しています。この山荘はモダニズム建築の巨匠である吉村順三が手がけたものであり、年に一度の公開イベントも行われています。設計者である吉村順三の空間を堪能できる貴重な機会となっています。
そう!見に行けるのです。毎年10月ぐらいに行われるので注意しておきましょう!申し込みは公式サイトから。
田園調布 猪熊邸
猪熊弦一郎邸は、洋画家・猪熊弦一郎のために建築家・吉村順三が設計した住宅兼アトリエです。この邸宅は、猪熊弦一郎の創作活動と生活の場として設計され、彼の芸術的な感性と吉村順三の建築的な美学が融合した空間となっています。吉村順三と猪熊弦一郎は長年の友人であり、この邸宅は二人の友情の証としても知られています。猪熊弦一郎はこの邸宅で多くの作品を生み出し、その創作活動の中心となりました。
現在の状況
- 保存と復元: 猪熊弦一郎邸は、吉村順三の原設計を忠実に復元するプロジェクトが進行中であり、建築の歴史的価値が再評価されています。
- 公開:内部空間は公開されていません。
建築の特徴
- 所在地: 東京都田園調布
- 竣工年: 1971年
- 建築様式: モダニズム建築
- 用途: 住宅兼アトリエ
「『住宅建築』 2024 年2月号 No.503」にこんな記事があります!なかなか良い記事です。
第2部 受け継がれる住まい
吉村順三と猪熊弦一郎、2人の友情が生んだ創作と交流の場
猪熊邸 設計=吉村順三
皇居新宮殿基本設計
皇居新宮殿基本設計という基本設計というところが特徴です。
宮内庁は皇居新宮殿の設計において岸田日出刀、谷口吉郎、丹下健三、堀口捨巳、前川国男、村野藤吾、吉田五十八、吉村順三を含む10名を候補者として選出し、吉村順三に設計が委嘱されました。実は基本設計までを吉村順三が行い、その後、実施設計は臨時皇居造営部が行なっています。竣工は1968年です。
吉村は宮内庁と折り合いが悪く、建築家として十分な職務が遂行できないと辞任したと言われています。内部の見学はできないので、写真でしか判断できないですが、当初吉村順三したシンメトリー性や使用材料は一部踏襲されず、また細部などについては大きな変更がなされたのではないかと推察できます。
奈良国立博物館 新館
1972年に、吉村順三設計による新館が完成しました。その後1997年には、吉村順三の設計で東新館が完成しています。
両新館は統一デザインを採用しており、一体の景観となっています。新館側の入口が新設され、本館と結ぶ地下道できました。
ピロティも特徴的ですね!気持ち良い空間です!
俵屋
俵屋旅館は、京都にある日本を代表する老舗旅館です。
俵屋旅館は吉村順三によってまず本館の改修がなされました。それは戦後、1949年に国際観光ホテル整備法が制定されたことによります。
この国際観光旅館に登録するためには、10室以上の客室が必要でした。結構規定は厳しくて、隣室とのあいだを壁で仕切ったり、テーブルや椅子がある3㎡以上の広縁などを要件としていました。
この規定を満たすために、吉村が設計を行うことになったのです。ここは、レーモンドとともによく来ていたことが縁になったと言われています。増築部は、南側敷地に木造平屋の2室を建てており、これは本館増築部として58年に竣工します。このときに10室となったことで国際観光旅館として登録が可能となりました。
その後、本館の北側に鉄筋コンクリート造の3階建ての新館の設計も吉村順三が行います。これで8室の増床されました。竣工は1965年です。
内部の写真を見ると、一度泊まってみたい気持ちが増幅されます!
でも、すこしお値段は高いですね!!でも、そんなこと言ってられません!
八ケ岳高原音楽堂
八ヶ岳連峰の南東斜面に建つ、音楽堂です。設計は吉村順三設計事務所
、大澤構造設計事務所(構造)、建築設備研究所(設備)、ヤマハ(株)音響研究所(音響)という布陣です。
「世界でも通用するような建物を」というリヒテルの助言と、武満徹がアドバイザーとなっています。
この建物は、三角形のグリッドで構成されています。標高約1600mの高地であり、10月の後半からは、最低気温が氷点下となる日もおおく、また冬季の最低気温は-20℃を下回ります。
音楽堂は、外周部には打ち放しの鉄筋コンクリートが用いられています。現在は既成の型枠パネルが用いられますが、この音楽堂はスギ板を型枠とした打ち放しコンクリートが用いられています。そのため、杉板の模様がコンクリートに転写されて温かみのある外観をもっています。
愛知県立芸術大学
愛知県立芸術大学は、日本で初めて、美術と音楽の専門教育を備えた公立芸術大学として知られています。
キャンパスが吉村順三の設計です。吉村順三の端正なフォルムを多くの講義棟などでみることができます。
吉村順三以外にも全体計画には、天野太郎、山本学治などが関わっています。
2006年にDOCOMOMO JAPANが選定する「日本におけるモダン・ムーブメントの建築」に選ばれています。
ソルフェージスクール
吉村順三は、妻であるバイオリニストの大村多喜子が運営する音楽教室「ソルフェージスクール」の建物を設計しました。この音楽教室は、東京都豊島区目白の住宅街に位置しています。
ソルフェージスクールの建物は、吉村順三の設計理念が反映されたシンプルで機能的なデザインが特徴です。自然光を取り入れた明るい空間や、音楽教育に適した音響設計も施されています。
吉村順三の作品としては、あまりメディアには出てきませんが、ソルフェージスクールは、吉村順三の代表作の一つといえます。彼の設計は、音楽教育の場を建築空間として支えています。
吉村順三がアメリカで設計した代表的な建築物
吉村順三がアメリカで設計した代表的な建築物には、以下のものがあります。
ジャパン・ソサエティー(Japan Society)
- 所在地: ニューヨーク
- 完成年: 1971年
- ジャパン・ソサエティーは、アメリカと日本の文化交流を目的とした非営利団体で、その本部ビルを吉村順三が設計しました。この建物は、モダンなデザインと日本的な要素を融合させたもので、ニューヨークのランドマークの一つとなっています。
斎藤博駐米大使記念図書室
- 吉村順三は、アメリカ議会図書館の司書であった坂西志保との書簡のやりとりを通じて、斎藤博駐米大使記念図書室の設計に関わりました。このプロジェクトは、アメリカと日本の学術交流を象徴するものです。
その他の活動
吉村順三は、アントニン・レーモンドのもとで学び、戦前から戦後にかけて何度も渡米しました。彼のアメリカでの経験は、日本の建築文化をアメリカに伝えるだけでなく、彼自身の建築スタイルにも大きな影響を与えました。
3.建築家 吉村順三の書籍 紹介
どれを選んでもおすすめの書籍です。
建築初学者であれば、「火と水と木の詩―私はなぜ建築家になったか」でしょうか。私はだいぶ後になって読みましたが、吉村順三の人柄を知ることできる一冊で、必読書でした。
建築を知っている人は「吉村順三のディテール―住宅を矩計で考える」も良いですね。
火と水と木の詩―私はなぜ建築家になったか
吉村順三について知るための最初の一冊です。
日本を代表する建築家が、自らの建築哲学を語り尽した幻の講演録、ついに刊行!住宅の名作・自邸「南台の家」の撮下ろし写真も収録。
内容(「BOOK」データベースより)
日本の名作住宅 エレメント&ディテール
日本の巨匠が設計したディテールは見ていて楽しみながら、参考になります。
80のディテールから読む、巨匠8人の設計術
「BOOK」データベースより
藤井厚二、アントニン・レーモンド、吉田五十八、坂倉準三、前川國男、吉村順三、西澤文隆、清家清らが追求した住宅のディテールを集めた作品集。外構/玄関・廊下/内部空間/庭/窓・建具/暖炉/家具・照明等のエレメントを切り口に、300点以上の写真・図面で紹介。巨匠のデザイン手法に住宅設計の手がかりを探る。
小さな森の家―軽井沢山荘物語
とても読みやすい本なのでおすすめです。
この1冊に「軽井沢の山荘」を凝縮。日本を代表する建築家、吉村順三の珠玉の名作「軽井沢の山荘」。吉村みずからが山荘を案内し、心地よい空間をつくる手法をていねいに解説。吉村順三が最初に描いた山荘の図面原図も初めて収録。30数年経た現代も生き続ける、小さな山荘のすべてがわかる決定版。
「BOOK」データベースより
吉村順三作品集―1941ー1978
この時代の設計が私にとっては最高です。
現代と伝統の交点を見つめ続けた建築家・吉村順三の全貌を、写真・図面・文章で紹介。 ■掲載作品 1941~1960 代々木の家、国際文化会館住宅、自由が丘の家、南台町の家、千駄ヶ谷の家、荻窪の家、青山の家 1960~1970 軽井沢の山荘A、池田山の家、浜田山の家、久我山の家、湘南秋谷の家、分譲地に建つ小住宅、湘南茅ヶ崎の家 1970~1978 山中湖の山荘A、B、C 軽井沢の山荘B、C、D 田園調布の家A、B 蓼科の山荘、熱海自然郷の山荘、ポカンティコヒルの家、京都西山の家、伊豆多賀の家、高樹町の家 1941~1978 平面図集 1941~1960 ホテル小涌園、葉山海の家 1960~1970 同志社大学アーモスト館、東京倶楽部、俵屋、新宮殿基本設計、ホテルフジタ 1970~1978 奈良国立博物館、愛知県立芸術大学、木曽カントリークラブハウス、大正屋、熱海マンション、在日ノルウェー王国大使館
「BOOK」データベースより
吉村順三・住宅作法
いつの間にか、高額書籍に。
もし状態の良いものならおすすめです!
心地よい住まいとは?豊かな空間とは?人間に対するあたたかい眼差しに支えられたデザイン。建築家・吉村順三が初めて語る、住宅設計の心と手法。
「BOOK」データベースより
吉村順三を囲んで
座談会に参加しているような気がします。
トーク集で読みやすいのでとてもおすすめです。プレゼントにも喜ばれると思います。
公開座談会「吉村順三を囲む」の内容に加え、作品の写真や解説、図面などを収録した書籍。 目次 序文 若い建築家へ 吉村順三 第一部 吉村順三を囲んで(公開座談会「吉村順三を囲む」) ・作品紹介 宮脇檀 ・建築へのまなざし 吉村順三+宮脇檀+六角鬼丈+藤森照信+中村好文 ・「気持ちよさ」の解読 宮脇檀+六角鬼丈+藤森照信+中村好文 第二部 吉村順三をめぐって ・師・吉村順三 宮脇檀 ・「なんともいえず素直」な素材感 藤森照信 ・こぼれ話 中村好文 ・あとがき 公開座談会楽屋裏 中村好文
「BOOK」データベースより
吉村順三のディテール―住宅を矩計で考える
吉村順三の図面を一通り確認する上では最高の一冊です。
建築は詩―建築家・吉村順三のことば一〇〇
吉村順三のことばを集めた一冊です。
そこには、吉村の思想が凝縮しています。
4.最後に
もう一度最後にまとめておきます。吉村順三(1908-1997)は、日本の建築家であり、戦後の日本におけるモダニズム建築の発展に大きく貢献しました。彼の建築思想は、自然との調和、人間中心のデザイン、そして伝統と現代の融合を重視しています。以下に、彼の代表的な建築作品とその思想について詳しく説明します。
吉村順三の建築思想
- 自然との調和
- 吉村は、建築が自然環境と調和することを非常に重視しました。彼の作品は、周囲の景観に溶け込むように設計されており、自然光や風を取り入れることで、建物内外の環境を一体化させることを目指しています。彼の設計は、自然素材を多用し、建物が自然の一部として存在することを意識しています。
- 人間中心のデザイン
- 利用者の快適さと利便性を最優先に考えた設計が特徴です。建物の動線や空間の配置は、利用者が自然に移動できるように計算されており、居住性や使いやすさを追求しています。彼は、建築が人々の生活を豊かにするものであるべきだと考えていました。
- 伝統と現代の融合
- 吉村は、伝統的な日本建築の美学や技術を尊重しつつ、現代的なデザインや技術を取り入れることで、新しい建築の形を創造しました。これにより、文化的な価値を持ちながらも機能的で革新的な建築を実現しています。
- 持続可能性と社会的責任
- 建築が社会に与える影響を考慮し、持続可能な設計を心がけました。環境への配慮や資源の効率的な利用を通じて、未来に向けた建築の在り方を提案しています。
代表的な建築作品
- 軽井沢山荘
- 概要: 軽井沢に位置するこの山荘は、吉村の自然との調和の思想を具現化した作品です。周囲の自然環境に溶け込むように設計されており、木材を多用した温かみのあるデザインが特徴です。
- 特徴: 自然光を最大限に取り入れるための大きな窓や、自然素材を活かした内装が施されています。
- 国際文化会館
- 概要: 前川國男、坂倉準三と共同で設計したこの建物は、戦後日本のモダニズム建築の代表作とされています。国際的な文化交流の場として設計されました。
- 特徴: 日本の伝統的な建築様式とモダニズムの融合が見られ、シンプルで機能的なデザインが特徴です。
- 八ヶ岳高原音楽堂
- 概要: 自然の中に溶け込むように設計された音楽堂で、吉村の自然との共生の思想が色濃く反映されています。
- 特徴: 木材を多用した構造と、周囲の自然を取り込む大きな窓が特徴で、音楽と自然が一体となる空間を提供しています。
- 松風荘
- 概要: ニューヨーク近代美術館(MoMA)に展示されたこの作品は、日本の伝統的な建築様式を現代的に解釈したものです。
- 特徴: 日本の感性や思想を反映したデザインで、国際的にも高く評価されています。
吉村順三の建築は、単に美しい建物を作るだけでなく、社会や環境に対する深い理解と配慮を持ったものであり、彼の作品はその思想を具現化したものとなっています。彼の建築思想は、現代の建築にも大きな影響を与え続けています。
吉村順三は日本の建築においてモダニズムと日本建築の融合を図り、現在に至るまで多大な影響を与えた建築家です。住宅から公共建築まで、「神は細部に宿る!」を実感できる空間性が一貫しています。モダニズムの中に温かみのある空間が特徴です。僕のオススメは、やはり脇田美術館の<アトリエ山荘>です。是非行って体験してみてください。外観、内観、ディテールから吉村順三の精神が伝わってきます!