デザイナー ジョージ・ネルソンは、米国のコネチカット州出身のデザイナーです。建築を学び編集者となったのちに、工業デザイナーとなります。
本記事の内容
本記事では、デザイナー ジョージ・ネルソンの略歴、代表作、書籍を紹介したいと思います。デザイナー ジョージ・ネルソンは、米国のコネチカット州出身の編集者・工業デザイナーです。ハーマン・ミラー社のデザイン・ディレクターとしてチャールズ・イームズ、ハリー・ベルトイア、リチャード・シュルツ、ドナルド・クノール、イサム・ノグチらと共同して多くの20世期を代表するモダニズム家具を生み出したことで知られています。
目次
- デザイナー ジョージ・ネルソンの略歴
- デザイナー ジョージ・ネルソンの代表作 紹介
- 1946 desk n. 4658
- 1947 Bubble Lamp
- 1958 Coconut Chair
- デザイナー ジョージ・ネルソンの書籍 紹介
- まとめ
1.デザイナー ジョージ・ネルソンの略歴
デザイナー ジョージ・ネルソンは、1908年にコネチカット州で生まれました。
ジョージ・ネルソンは、アメリカを代表する工業デザイナーです。ハーマンミラー社のリード・デザイナーとして活躍し、またネルソンのデザインスタジオであるジョージ・ネルソン・アソシエイツは20世紀を代表する数々のモダニズム家具をデザインしました。
ネルソンはコネチカット州のハートフォードで生まれ、両親はドラッグストアを経営していました。1924年に高校を卒業し、イェール大学に進学します。
当初は建築家になることを目指していませんでしたが、偶然にも学生の作品の展示をみてエール大学で建築を専攻します。1928年に、彼は建築の学位を取得し、さらに1931年に美術の学位を取得しました。
ネルソンはローマ賞を受賞し、2年間ローマで建築を学びます。ローマに拠点を置く間、ネルソンはヨーロッパの各地を旅し、ペンシルポイント誌の記事を執筆します。そこでは、モダニストの先駆者として、ミース・ファン・デル・ローエなどにインタビューしています。
ローマにいる間にネルソンはフランシス・ホリスターと結婚し、数年後米国に戻りました。ペンシルポイントの記事を通じて、ネルソンはヴァルター・グロピウス、ミース・ファン・デル・ローエ、ル・コルビュジエ、ジオ・ポンティの作品を紹介しています。
ネルソンは、デザイナーの仕事は世界をより良くすることにあると信じていました。彼は、人間が自然の法則に従わずに自然の秩序を台無しにすることに懸念を抱き、「現代の建築家は、シンボル、装飾、構造的形態の意味性から切り離されており、技術的改善を必死に追いかけて工場や、あらゆる面で利益を上げなければならない。」と見解を述べています。
当時のネルソンのキャリアは主に建築雑誌の執筆に関係しており、実際に設計することはありませんでした。ネルソンは、エリオット・ノイエス、チャールズ・イームズ、ウォルター・B・フォードなど、1940年代のモダニズム建築運動の創設者とのインタビューや意見交換に多くの時間を費やしました。
1940年までに、ネルソンはいくつかの革新的な概念で知られるようになりました。
ヘンリー・ライトと共著した戦後の著書「Tomorrow’s House」で、彼は「ファミリールーム」と「収納壁」の概念を紹介しました。
収納壁は、壁で失われていたスペースを利用する埋め込み式の本棚または棚のアイデアでした。ネルソンが「壁の内側は何ですか?」という質問をしたとき、壁の間のスペースを保管に利用するというアイデアが生まれたそうです。
1945年、ハーマン・ミラー社は、木材ベースの家具を製造していました。 Tomorrow’s Houseを読んだハーマンミラー社の会長であるデプリーは、ネルソンが家具のデザインの経験がないにもかかわらず会社のデザインディレクターに選びました。
家具を革新的に改良するネルソンの洞察に強い興味を持っていました。ネルソンは、ハーマンミラー社の外で仕事をしたり、ネルソンが一緒に仕事をした他の建築家のデザインを自由に使用できる契約を提示されました。
ネルソンは1947年にハーマンミラー社のデザインディレクターになり、1972年まで務めます。ネルソンが作成した最初のハーマンミラーカタログは1945年にリリースされました。
その後数年間で、20世紀の最も象徴的な家具のいくつかが発表されます。チャールズ・イームズ、ハリー・ベルトイア、リチャード・シュルツ、ドナルド・クノール、イサム・ノグチなどによる家具はネルソンの監修によってハーマンミラー社で販売されました。
ネルソンは1947年にニューヨーク市にデザインスタジオ(George Nelson Associates, Inc.)を開設しました。 スタジオは、ジョージ・ネルソンはハーマンミラーのためにデザインしていたトップデザイナーの多くを集めることに成功しました。
1960年、ハーマンミラー社は、ロバート・プロプストとジョージ・ネルソンの監督下でハーマン・ミラー・リサーチ・コーポレーションを設立しました。
同社の目的は、20世紀に起こったオフィス家具の使用の変化を調査することでした。プロプストのオフィス家具のアイデアはネルソンのスタジオによって作成され、ハーマン・ミラー社の1964年のカタログに登場します。それは「アクション・オフィス・I」を言われました。
このアクション・オフィスを設計したことで、ネルソンは権威あるアルコア賞を受賞しました。
アクション・オフィス・I・のラインは成功しませんでしたが、その後、プロプストはアクション・オフィス・IIを作成します。これは、今日ではオフィスの基本形としてよく知られています。
このアクション・オフィス・IIはハーマンミラー社の最も成功したプロジェクトになります。
しかしネルソンは、アクション・オフィス・Iの失敗のよってアクション・オフィス・IIには「より大きな市場」があることがわかっていましたが、強い反対を表明しました。
ネルソンは1980年代半ばにスタジオを閉鎖して引退し、1986年にニューヨーク市で亡くなりました。
2.建築家 アルド・ロッシの代表作 紹介
1946 desk n. 4658
- デザイン: ジョージ・ネルソン
- 制作開始: 1946年
- 素材: クルミ

1947 Bubble Lamp
- デザイン: ジョージ・ネルソン
- 制作開始: 1950年
- 素材: plasterized fabric
ネルソン バブルランプは、球体から周囲にむらなく光が出てくるランプで、ニューヨーク近代美術館(MOMA)の永久保存コレクションとなっています。
1958 Coconut Chair
- デザイン: ジョージ・ネルソン
- 制作開始: 1958年
- 素材: leather

3.デザイナー ジョージ・ネルソンの書籍 紹介
コンパクト・デザイン・ポートフォリオ ジョージ・ネルソン (クロニクル・ブックス日本語版)
デザイナー ジョージ・ネルソンの革命的なアイデアを知ることができます。
ミッド・センチュリー・デザインのキー・パーソンと呼ぶべきジョージ・ネルソンの生涯と作品を一覧できるのでおすすめです。
ミッド・センチュリー・デザインの“キー・パーソン”、それがジョージ・ネルソン!20世紀のデザインを語る際に、欠くことのできない存在であるジョージ・ネルソン。
建築家として、ユニークなデザイン・チームのリーダーとして、あるときは文筆家として、またあるときは、展覧会や博覧会のプロデュースまでをも手がけ、ネルソンが77年の生涯を通じ、私たちに残したものとは?
プラットフォーム・ベンチ、マシュマロ・ラブ・シート、ココナッツ・チェア、スリング・ソファ、バブル・ランプ……誰もがネルソンの“作品”として思い浮かべるこうした作品は、実際のところ、彼のチームに属する、才気あふれるデザイナーたちがデザインしたものだった。
しかしながら、そのデザインを導き出したのはネルソン自身であり、彼こそが、ハーマンミラー社のデザイン・ディレクター(後にコンサルタント)として、“グッド・デザイン”を次々と市場に送り出し、人気を獲得した、最初の人物だったのである。
Amazonより
4.まとめ
デザイナー ジョージ・ネルソンは、20世紀を代表する工業デザイナーのひとりです。ハーマン・ミラー社の社長が、ジョージ・ネルソンの著作を見て、ハーマン・ミラー社のデザイン・ディレクターとしてネルソンを招聘することから大きくネルソンの人生が変わっていきます。自分の考えを表明するのはとても大事ですね。そこから、何か新しい出会いが生まれるのだなと思います。