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建築家 ル・コルビュジエを知ろう! サヴォア邸など

建築家 ル・コルビュジエは、スイスのラ・ショー=ド=フォン出身です。正規の建築教育を受けていないのですが、そこに新しい時代を作る革新的アイデアが生まれてくるのです。安藤忠雄と同じですね。勇気づけられますね!

本記事の内容

本記事では、建築家 ル・コルビュジエの略歴、代表作、書籍を紹介したいと思います。モダニズム建築の巨匠であり、フランク・ロイド・ライト、ミース・ファン・デル・ローエらと比較されることも多いです。近代建築における三大巨匠と言われています。

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目次

  1. 建築家 ル・コルビュジエの略歴
  2. 建築家 ル・コルビュジエの作品
    • 1914 ドミノ・システム
    • 1923 レマン湖の小さな家(母の家)
    • 1924 ラ・ロシュ=ジャンヌレ邸
    • 1925 エスプリ・ヌーヴォー館
    • 1926 シテ・フルジェス
    • 1931 サヴォア邸
    • 1952 ユニテ・ダビタシオン
    • 1955 ロンシャンの教会
    • 1959 ラ・トゥーレット修道院
  3. 建築家 ル・コルビュジエの書籍 紹介
  4. まとめ

1.建築家 ル・コルビュジエの略歴

ル・コルビュジエは1887年にスイスで生まれました。本名はシャルル=エドゥアール・ジャヌレです。

モダニズム建築の巨匠であり、フランク・ロイド・ライト、ミース・ファン・デル・ローエと共に近代建築における三大巨匠といわれています。

ル・コルビュジエはスイスのラ・ショー=ド=フォン出身です。ここは、時計の町として有名で、父は時計の文字盤職人で母はピアノ教師でした。のちにル・コルビュジエが母マリーのためにレマン湖の近くにつくる「母の家」は有名ですね。

ル・コルビュジエは地元の装飾関係の美術学校で彫刻と彫金を学びました。しかし、専門的な大学教育は受けていません。安藤忠雄は、こうした点にもル・コルビュジエに親近感を抱いていたのではないでしょうか。

ル・コルビュジエは建築の道に進み、最初に建築家のルネ・シャパラと共にラ・ショー=ド=フォンで建築設計を手がけています。

その後ル・コルビュジエは1908年にパリへ行きます。そこで、鉄筋コンクリートによる建築の先駆者であったオーギュスト・ペレの事務所に入ります。また、1910年にはペーター・ベーレンスの事務所で修行します。

1914年に鉄筋コンクリートによる住宅建設方法である「ドミノシステム」を発表してから、徐々にル・コルビュジエの活躍がはじまります。

1920年にオザンファンと共に雑誌『レスプリ・ヌーヴォー』(L’esprit Nouveau)を創刊します。このときにル・コルビュジエというペンネームを用いたことから、ル・コルビュジエを名乗り始めます。

1923年に『建築をめざして』を刊行します。ここにある、「住宅は住むための機械である(machines à habiter)」という言葉は有名ですね。

1922年に『300万人の現代都市』1925年に『ヴォアザン計画』を発表します。丹下健三の『東京計画』が1960年なので、建築家の都市計画提案としてはかなり先をいっていますね。そして1930年に『輝く都市』を発表します。

また、ル・コルビュジエはCIAM(近代建築国際会議)に参加し、ヴァルター・グロピウス、ミース・ファン・デル・ローエ、ジークフリート・ギーディオンらと中心メンバーとして活躍しています。

1931年に竣工した『サヴォア邸』は代表作です。ル・コルビュジエの主張する「近代建築の五原則」が示されています。

第二次世界大戦後、集合住宅『マルセイユのユニテ・ダビタシオン』を設計します。この時に、建築家 吉阪隆正がル・コルビュジエ事務所で担当していものがユニテ・ダビタシオンです。

1950年代からはインドに携わります。チャンディーガルの都市計画と主要な建築物(議会・裁判所・行政庁舎)を設計します。

後期の代表作としては『ロンシャンの礼拝堂』(1955年竣工)があります。有機的なフォルムで、サヴォア邸の時代とは大きく変化しています。

その後、『ラ・トゥーレット修道院』を設計して1960年に竣工します。

1965年8月27日に南フランスのカップ・マルタンで海水浴をしている間に78歳で心臓発作で逝去しました。

2.建築家 ル・コルビュジエ代表作 紹介

1914 ドミノ・システム

第一次世界大戦中、ル・コルビュジエは出身地であるラ・ショー・ド・フォンの母校で教えました。

1914年からエンジニアのマックス・デュボアとともに、当時の最先端の技術を使用した建築工法の研究を始めます。

コルビュジエは、パリの鉄筋コンクリート建築のパイオニアであるオーギュスト・ペレのオフィスでコンクリートの利用を把握していましたが、今ではそれを新しい方法で使用したいと考えてました。

そして、その研究成果がドミノシステムにつながりました。

このモデルは、6つの薄い鉄筋コンクリート柱で支えられた3つのコンクリートスラブでできています。

各レベルへのアクセスは、階段によって提供されています。

このシステムは、もともと第一次世界大戦後に多数の仮設住宅を提供するために設計され、スラブ、柱、階段のみを製造するこを意図しています。

居住者は自分自身で外壁を構築することができます。

コルビュジエは、このシステムを特許出願し、どんな計画においても無数の組み合わせを可能とする建設システムであり、これによりファサードと内部の任意の場所での仕切り壁の建設が可能になるとしています。

近代建築5原則の技術的な側面をここで確立しています。

1923 レマン湖の小さな家(母の家)

レマン湖畔の小さな家(ル・ラック)は、ル・コルビュジエの両親のためにレマン湖畔に建てられた住宅です。ル・コルビュジエとピエール・ジャンヌレによって設計されました。

ル・コルビュジエの両親は、1924年のクリスマスイブにこの住宅に引っ越しました。この住宅は64平米ととても小さな家ですが、南ファサードの約11メートル及ぶ窓が前の景色を切り取っており、とてもその小ささを感じさせません。

建築プログラムとしては、使用人なしで暮らす2人の高齢者のための家です。土地の区画としては、小道と湖の間の位置によって区切られた敷地です。そこに、前庭、リビングルーム、ベッドルーム、バスルーム、キッチン、トイレが配置されており、ル・コルビュジエは「有用な最小値」を設定する取り組みをしたそうです。

11メートル以上開いている水平の窓は、1923年時点では革新的であったといえます。サヴォア邸で示す近代建築5原則のひとつをここで実現しています。

両親は、1926年に父がなくなりと1960年に母が亡くなるまでまで、この住宅に住んでいました。

現在は、ル・コルビュジエの願いどおりに博物館として公開されています。

1924 ラ・ロシュ=ジャンヌレ邸

ラ・ロシュ=ジャンヌレ邸は、ル・コルビュジエ、ル・コルビュジエのいとこのピエール・ジャンヌレ、家具がシャルロット・ペリアンによって設計されました。

ラ・ロシュ=ジャンヌレはバーゼル出身のスイスの銀行家であり、前衛芸術のコレクターでもありました。ラロッシュにとって、パリの家はアート・コレクションを収容するための別荘兼ギャラリーでした。

ラ・ロシュ=ジャンヌレ邸は、パリでのコルビュジエの3番目の住宅です。2つのボリュームが互いに直角に配置されています。その意味で、コルビュジエが傾倒していたキュビズム芸術や幾何学への純粋主義が見られます。

ル・コルビュジエとペリアンが共同した家具は、ラ・ロシュ=ジャンヌレ邸のための設計されたものですが、その後多くの住宅で使われることになります。

クロムメッキの管状のスチールチェアで、現在も販売されています。

現在、ラ・ロシュ=ジャンヌレ邸はル・コルビュジエ財団として、ル・コルビュジエによる約8,000点の原画、計画(1922年から1940年までピエールジャンヌレと共同でやったもの)、約450点の絵画、200点の紙の作品、手紙および写真のアーカイブをコレクションしています。

興味があれば、そうした研究にも使える施設となっています。

見学には、事前予約が必要です。

1925 エスプリ・ヌーヴォー館

ル・コルビュジエの重要な初期の作品として、1925年のパリ万国博覧会のために建設されたエスプリ・ヌーボー・パビリオンがあります。

Photo: public domain

このイベントは後にアールデコ博覧会とも呼ばれ、デザインの潮流の一つを作った展覧会でもありました。

ル・コルビュジエは、オザンファンといとこのピエール・ジャンヌレと共同でパビリオンを建設しました。

ル・コルビュジエとオザンファンは、1920年に雑誌エスプリ・ヌーヴォーを作り、装飾芸術を批判しました。

「装飾芸術は、近年進む機械現象とは対照的であり、古い手動モードの最後のひねりであり、死にかけているものです。」

このアイデアを説明するために、ル・コルビュジエとオザンファンは、将来の都市住宅ユニットのアイデアを表す小さなパビリオンを博覧会に作成することにしました。

これが、エスプリ・ヌーヴォー館です。

「家は、都市という体内にある細胞です。この細胞は、家の仕組みである重要な要素で構成されています…装飾芸術はその意味で標準化されていません。私たちのパビリオンには、工場や大量生産の産業によって標準化されたものだけが含まれます。したがって、私のパビリオンは巨大なアパートメントの建物から抽出された細胞になります。」

こうした考え方が、後にユニテ・ダビタシオンとして結実していくことになります。

ル・コルビュジエとオザンファンは、博覧会の中心とは外れたグランパレの後ろにある区画があてがわれました。

この区画は森林に覆われており、出展者は木を伐採することができなかったため、ル・コルビュジエは屋根の穴から出てきた木を中央に置いてパビリオンを建てました。

コルビュジエ後にこの展覧会の成功をいろいろと書いていますが、実際にはかなり行きにくい場所にひっそりと立っていたということです。

やはり後の宣伝にうまく利用したとも言えます。

建物は真っ白な箱で、内部テラスと四角いガラス窓がありました。

インテリアは、他のパビリオンの作品とはまったく異なる、コルビュジエの描いたキュビズムの絵画と大量生産された市販の家具で装飾されていました。

これを見て博覧会の主催者は激怒し、パビリオンを部分的に隠すためのフェンスを建てたそうです。そしてル・コルビュジエは、このフェンスを撤去するよう命じた美術省を相手取って上訴したそうです。

まさに、建築は戦いの手段であったわけです。

家具のほかに重要なことに、このパビリオンではル・コルビュジエの「プランボワサン(Plan Voisin)」のモデルを展示しています。

パリ改造構想「ヴォアザン計画」(1925年) Photo: creative commons

これは、パリ中心部の大部分を再建するかなり挑発的な計画です。

ル・コルビュジエはセーヌ川の北の広い地域を、直交する通りのグリッドと緑地内に配置された巨大な60階建ての十字形の塔に置き換えることを提案しました。

この計画は、フランスの政治家や実業家から大きく批判されましたが、一方でコルビュジエのデザインの根底にあるフォーディズム的な考えにじゃ好意的でした。

フォーディズム(Fordism):自動車王ヘンリー・フォードが行った生産手法や経営思想のことを意味する。転じて、現代の資本主義や大量生産を特徴付ける概念となり、経済学、社会学、地理学などで援用される。

この計画は真剣に検討されることはありませんでしたが、過密状態のパリの貧しい労働者階級にどう対処するかについての議論を引き起こしました。

実際に、1950年代と1960年代にパリ郊外の住宅開発を促します。

このパビリオンは多くの批評家に嘲笑されましたが、ル・コルビュジエは臆することなく次のように書いています。

「確かなことは、この1925年は新旧の建築と社会の決定的なターニングポイントということです。1925年以降、古い建築は事実上終わります。新しい生活はこの実験を通して達成されます。」

やはりかっこいいですね。

1926 シテ・フルジェス

1926年にル・コルビュジエはボルドーの実業家であったヘンリー・フルジェスから、都市計画のアイデアを賞賛されます。

そしてボルドー郊外のペサックに労働者住宅シテ・フルジェスを依頼されます。

コルビジェは、生活と仕事のためのコミュニティ全体を作るチャンスとしました。

このフリュージュ地区は、コルビジェにとって最初の実験的な住宅となります。

1925年のパリ万国博覧会で展示されたユニットのように、各住宅ユニットには独自の小さなテラスがありました。

彼が建設した初期の別荘はすべて白い外壁でしたが、ペサックの場合、クライアントの要求に応じてブラウン、イエロー、ジェイドグリーンのパネル色が追加されています。

当初は約200戸の計画でしたが、最終的には8棟に約50〜70戸の住宅が入居しました。

このペサックにおけるプロジェクトは、その後のコルビジェの大規模なプロジェクトのモデルとなりました。

その意味で、初期の住宅プロジェクトとしてとても重要な作品です。

1931 サヴォア邸

サヴォア邸は、建築家ル・コルビュジエの代表作です。パリ郊外のポワシーにあります。1931年に竣工しました。20世紀を代表する住宅ともいえるでしょう。

サヴォア邸では、近代建築の五原則が実現されています。ピロティ、屋上庭園、自由な平面、水平連続窓、自由な立面です。平面の中央には緩やかなスロープがあり、上下階を連続的に繋いでいます。

スラブと柱で支えており、梁はありません。ピロティによって極めて軽やかな印象を受けます。水平連続窓は光を十分に取り込むため、白い壁に反射して室内を明るくし透明感があります。

また、バスルームや螺旋階段などで曲線が配置され、堅苦しい雰囲気も和らげられています。

パリに行ったら是非見に行きましょう!

1952 ユニテ・ダビタシオン

ユニテ・ダビタシオンは、ル・コルビュジエによって開発された新しいモダニズムの集合住宅設計の原則でした。

ル・コルビュジエの思想を体現した最も有名な作品の1つであり、非常に影響力をもっていました。また、デザイン的にはブルータリズム建築の最初の例としてしばしば引用されています。

戦後の物資不足から、期待されていた鉄骨が高すぎることが判明したため、建物は打放しコンクリート(ラフキャストコンクリート)で建設されています。

この集合住宅のコンセプトは、ヨーロッパ全土で住宅開発の原則として広がっていくことになります。

もともと1920年からコルビュジエは、モダニズムに非常に大きな影響を与えたアパートの研究を開始しました。

このマルセイユの建物の建設中に、いくつかのモデルユニットを展示しました。まるで今の大規模マンションと同様の形式であり、その先見性に驚かされます。

マルセイユのユニテ・ダビタシオンは、1952年に竣工しました。

CIAMのメンバーが1953年にユニテ・ダビタシオンのオープンを祝ってイベントを開催し、ヴァルター・グロピウスを含む多くの建築家が参加したそうです。

12階建てで337のユニットで構成されています。建物内には、ショップ、屋上ギャラリー、教育施設、レストランがあり、現在はホテルも併設されています。

シャルロット・ペリアンが設計したキッチンが、ユニテ・ダビタシオンの合計321のユニットに備わっています。

内部では、廊下が建物の3階ごとに中心を通り、各ユニットは2つのレベルにあり、バルコニー付きです。

現在もユニテ・ダビタシオンは住民に人気があり、主に中産階級の住人が多いそうです。

1955 ロンシャンの教会

ロンシャンの礼拝堂は、カトリック ドミニコ会の礼拝堂で1955年に竣工です。フランスの世界遺産「ル・コルビュジエの建築作品 近代建築運動への顕著な貢献」の1つです。

特徴は屋根のシェル型のデザインです。東西軸を下端として中央で下がるカーブを描いています。

厚く巨大な南面の壁には小さな開口部があり、さまざまなステンドグラスが嵌め込まれています。

こちらもミサが行われていないときは自由に見られます。少し行きにくいですが、期待しながら進んでいく道中も良いものです。一見の価値ありです。

1959 ラ・トゥーレット修道院

ラ・トゥーレット修道院は、フランスのリヨン郊外にあり1960年に竣工です。ロンシャンの礼拝堂とならび、後期のル・コルビュジエ建築の代表作です。

丘の斜面に寄り添うように建つ外観は、垂直と水平の直線だけで構成され、禁欲的です。この建築では、のちに音楽家となったヤニス・クセナキスが設計に参加していたことでも有名です。ラ・トゥーレット修道院の窓割りはクセナキスの音楽的なセンスが生かされています。

3.建築家 ル・コルビュジエの書籍 紹介

建築をめざして

建築をやる人には必須書です!

読み継がれる建築の名著。

「住宅は住むための機械だ」

このあまりにも有名な言葉を含む本書は、ル・コルビュジエの都市・建築に対する新時代の到来を告げる宣言であり、その問題提起は都市・建築を学ぶ人々にとって今なお、刺激的で示唆的である。

Amazonより
  • 単行本: 216ページ
  • 出版社: 鹿島出版会 (1967/12/5)
  • 言語: 日本語
  • ISBN-10: 4306050211
  • ISBN-13: 978-4306050211

小さな家―1923

60㎡でこんなに豊かな空間がつくれることに感動します。

ル・コルビュジエが、まだ若かりし頃、両親のために作った家を、写真やデッサン画を用いて説明してくれます。 わずか60㎡の本当に小さな家ですが、そこには素敵なアイディア・プランが詰め込まれています。 時代をこえて、人間の奥深くに眠ってる感性を呼び起こしてくれるような、ホッとする内容です。 きっとあなたにとっても、大切な一冊になるのではないでしょうか?

Amazonより
  • 単行本: 85ページ
  • 出版社: 集文社 (1980/1/1)
  • ISBN-10: 4785101105
  • ISBN-13: 978-4785101107
  • 発売日: 1980/1/1

4.まとめ


ル・コルビュジエは、近代建築を代表する建築家であり、その存在は極めて重要です。しかし、設計の初期から後期にかけてその設計は大きく変わっていきます。サヴォア邸のような直線を基本としたフォルムから、ロンシャンの教会のような有機的なフォルムへの変遷はまさに圧巻です。ここで、「そうかー、設計は変わっていいのだな!」と思えることに人間味を感じます。世界中にコルビジェ建築がありますので、機会を見つけて行ってみましょう。


注意説明 公共建築以外の場所の特定は行っていません。個人の所有物である住宅は、場所の特定をしないように配慮しております。ご了承くださいませ。
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