建築家 高橋靗一は、占領期の中国・青島出身の建築家です。大学キャンパス計画や、美術館などの公共建築が多く、とてもスケールの大きな建築が魅力的です。
本記事の内容
本記事では、建築家 高橋靗一の略歴、代表作、書籍を紹介したいと思います。建築家 高橋靗一は、日本の近代から現代までを代表する建築家です。佐賀県立博物館のモダニズムから、金策の群馬県立館林美術館のランドスケープと一体となった建築まで、その柔軟で多彩な建築設計と実際の劇的な空間演出はとても心地が良いです。
目次
- 建築家 高橋靗一の略歴
- 建築家 高橋靗一の代表作 紹介
- 1968 佐賀県立博物館
- 1981 大阪芸術大学芸術情報センター
- 2001 群馬県立館林美術館
- 建築家 高橋靗一の書籍 紹介
- まとめ
1.建築家 高橋靗一の略歴
建築家 高橋靗一は、1924年に日本統治時代の中国の青島市で生まれました。1937年に帰国して、東京大学第二工学部建築学科を卒業します。その後、逓信省営繕部設計課に勤務(1949〜56年)します。高橋靗一が入省した時はすでに山田守や山口文象はいませんでしたが、逓信省営繕部設計課はとても重要な建築設計の場所だったことがわかります。山田守は1945年に逓信省を退官していますので重なってはいないですね。
武蔵工業大学助教授をやりながら、自身の設計事務所である第一工房を設立します。その後は、大阪芸術大学教授を歴任しながら多くの公共建築を設計します。
代表作に 佐賀県立博物館、大阪芸術大学の一連の建築群、東京都立大学南大沢キャンパス、群馬県立館林美術館、あいち海上の森センター、白河市立図書館などがあります。
1971年に佐賀県立博物館で日本建築学会賞作品賞を受賞します。その後、大阪芸術大学芸術情報センターで1982年に二度目の日本建築学会賞作品賞を受賞し、さらに同作で1982年に日本芸術院賞を受賞しています。
高橋靗一は、2016年に91歳で亡くなりました。
2.建築家 高橋靗一の代表作 紹介
1968 佐賀県立博物館
佐賀県立博物館は、高橋靗一(第一工房)+内田祥哉の設計で1970年に竣工しました。内田祥哉は逓信省営繕課で一緒に働いた仕事仲間でした。
外観は複数のブロックをピロティによって持ち上げており、軽やかな印象をもっています。また、この構造は十字形で作られたプレキャスト・コンクリートであり、自由な平面計画を可能としています。
また1階に位置する中央のロビーから4方向に階段があります。そして、この階段の先端は3階までいって外へ向かって突き出しています。この建築は、屋根伏せ図も魅力的です。
1971年に、この佐賀県立博物館で日本建築学会賞作品賞を受賞します。
1981 大阪芸術大学芸術情報センター
大阪芸術大学が開校するときの公開設計競技で高橋靗一の第一工房が選定され、その後なんと20年間(1期~14期)という長期間にわたり大阪芸術大学のキャンパス計画を行っています。
その第12期に建設された大阪芸術大学芸術情報センター・塚本英世記念館は、5層吹き抜けのアートホールです。光の陰影が美しい高橋靗一の代表作といえます。
内部のコンクリート打ち放しは反射する陰影が印象的でとても印象的で、静謐な雰囲気をもつ空間を形成しています。
1982年に、この大阪芸術大学芸術情報センターで二度目の日本建築学会賞作品賞を受賞し、さらに同作で1982年に日本芸術院賞を受賞しています。
2001 群馬県立館林美術館
群馬県立館林美術館は、2001年竣工です。自然が極めて豊かな場所で建築とランドスケープが一体となったとても美しい建築です。
自然と人間の関わりがこの美術館のテーマ(収集する作品は自然と人間に関するものが多い)でもあり、建築のテーマでもあります。建築表現は幾何学を軸にしたフォルムであり、その対照的な組み合わせが自然の豊かさをさらに強調するようです。
2004年に第17回村野藤吾賞を受賞しています。
3.建築家 高橋靗一の書籍 紹介
高橋靗一/第一工房1960‐2005
高橋靗一の全作品を概観するのにもってこいの書籍です。モダニズムの最前線から現代建築まで、45年に渡る建築設計を網羅しています。オススメの一冊です。
処女作「内村直也氏の書斎」から、建築とランドスケープの融合をはかった近作「群馬県立館林美術館」、超免震構造プロジェクト「S・F・S・21」まで、モダニズムの最前線を走り続ける全活動を紹介する。
Amazonより
4.まとめ
建築家 高橋靗一は日本の近代から現代まで活躍した建築家です。公共物も多く、モダニズムの最前線から現代建築まで、日本の建築界の最前線で魅力的な建築を残しています。