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建築家 佐野利器を知ろう! 神奈川県庁舎など

建築家 佐野利器は、山形県出身の建築家です。戦前の建築界の重鎮であり、構造設計の大家としても知られています。

本記事の内容

本記事では、建築家 佐野利器の略歴、代表作、書籍を紹介したいと思います。建築家 佐野利器は、山形県出身の建築家であり建築構造学者です。戦前の建築界では、内田祥三と共に2大重鎮として君臨していました。特に、初期の耐震設計を推進し、日本の構造設計の基礎を築きました。

目次

  1. 建築家 佐野利器の略歴
  2. 建築家 佐野利器の代表作 紹介
    • 1914 東京駅丸の内駅舎
    • 1924 旧岐阜県庁舎
    • 1927 神奈川県庁舎
  3. 建築家 佐野利器の書籍 紹介
  4. まとめ

1.建築家 佐野利器の略歴

建築家 佐野利器は、1880年に山形県で生まれました。

佐野利器(さの としかた)は、は日本の建築家でありまた建築構造学者です。建築の工学面、特に耐震工学に多大な寄与をして、建築構造学の発展の礎を築きました。東京帝国大学教授、日本大学教授、そして清水組副社長を歴任しています。

山形県で山口家の四男として生まれたが、幼時に佐野家の養子となります。東京帝国大学建築学科に進学し、辰野金吾の下で学びます。

卒業後は大学院に進学し、大学院終了後すぐに講師となる秀才でした。

1906年に(明治39年)サンフランシスコ大地震の被害状況を調査するため、アメリカにいきます。その後、1911年(明治44年)にはドイツに留学し、1914年に帰国します。

教授に就任して、学位論文「家屋耐震構造論」を提出して、工学博士号を取得します。日本における建築構造学の基礎を築き、耐震理論としては当時最先端であったそうです。

内務省では、明治神宮造営局参事・参与を担い、明治神宮社殿や宝物殿の建設に関わります。また、外苑の整備も行いました。

建築法規の制定にも関わり、1919年の都市計画法(旧法)と市街地建築物法(建築基準法の前身)の制定に関わります。

デザインだけでなく、日本建築を様々な方向から整備していったことがわかります。

1922年に雑誌に発表した都市型地震に関する論考では、都市の被災者数を約10万と試算しました。これは、翌年に起きた関東大震災の死者・行方不明者の数をほぼ同数(10万5千人余)で、未来を見る目があったとしか思えません。

1923年(大正12年)9月1日に起きた関東大震災のあと、救護バラック建設の陣頭指揮を行い、佐野はその後に帝都復興院理事・建築局長に就任します。

関東大震災後の復興事業・土地区画整理事業に多く関わります。

その後、東京市長の永田の依頼により、1924年(大正13年)から東京市の建築局長となり、不燃化を実現した多くの(100以上)の鉄筋コンクリート造の小学校の建築に当たります。これが今もいくつか残っている復興小学校です!

その後、佐野は清水組の経営に関わり、定年前に退官します。1929年から1932年には、清水組の副社長を務めます。アカデミアだけでなく、大手の建設会社にも関わっているのは多才ですね。

清水組退社後は東京工業大学教授の職に専念します。(1939年(昭和14年)まで)

佐野利器は1956年(昭和31年)に亡くなりました。

2.建築家 佐野利器代表作 紹介

1914 東京駅丸の内駅舎

東京駅丸の内駅舎は佐野利器が東京帝国大学建築学科時の師匠であった辰野金吾(辰野は佐野が3年時に辞職)と葛西萬司が設計しています。

佐野は、34歳の時にこの東京駅丸の内駅舎設計に関わり、主に構造設計を担当します。

1914 東京駅丸の内駅舎 建築家 佐野利器

1924 旧岐阜県庁舎

旧・岐阜総合庁舎は、岐阜市にある元岐阜県岐阜総合庁舎でした。1924年(大正13年)10月に竣工し、1966年(昭和41年)に新しい県庁舎ができるまで使用されていました。

設計は清水正喜(岐阜県営繕課主任技師)、矢橋賢吉、佐野利器です。

11階建の塔が計画案でしたが、関東大震災により構造的な見直しを行い塔の建設は断念しました。

デザインはモダニズム的な傾向から、装飾などは最小限に抑えています。

天窓にステンドグラスがあり、槍ヶ岳、穂高岳、乗鞍岳などの北アルプスがモチーフとなっています。

平面はE字形プランで、内装には大理石などがふんだんに使われ、旧知事室、旧会議室等の暖炉や、食堂、手洗所の装飾はすばらしいです。

2009年12月11日、県は、老朽化、耐震補強に費用がかかるため、岐阜総合庁舎の解体の計画を発表します。

建築当時の状態が良い南側部分は保存して、残りの部分は解体されました。

1924 旧岐阜県庁舎 建築家 佐野利器

1927 神奈川県庁舎

本庁舎は、関東大震災で焼失した旧県庁舎の再建です。神奈川県内務部が設計を担当し、建築顧問として佐野利器が入りました。

昭和初期に多くの建物で用いられた帝冠様式です。

1928年(昭和3年)に竣工し、塔屋はキングの塔とも言われています。ちなみに、横浜税関本関庁舎はクイーンの塔、横浜市開港記念会館はジャックの塔として親しみを持って言われています。

歴史的建造物として、1996年に登録有形文化財に登録され、 2019年に重要文化財に指定されました。

1927 神奈川県庁舎 建築家 佐野利器

1966 新庁舎

こちらは、神奈川県庁舎の新庁舎です。鉄骨鉄筋コンクリート造の地上13階建てで、坂倉準三の設計です。中央部にエレベーターやトイレなどの設備形を配した中央コアシステムとなっています。

坂倉準三はシルクセンターや、近代美術館など神奈川県に多くの建物が残っています。

1927 神奈川県庁舎 建築家 佐野利器

3.建築家 佐野利器の書籍 紹介

住宅論/紫烟荘図集/住宅双鐘居 (叢書・近代日本のデザイン)

佐野利器は構造設計家として多くの書籍を残していますが、こちらは一般向けの住宅論です。

この『住宅論』では、佐野は日本の近代に培ってきた多くの技術が人間生活の衣食住をあまり改善したこなかったといっています。それは、特に住宅の分野に問題があると指摘し、その改善のためにこの住宅論を書いたそうです。

今でも、商業的な住宅を見ていると、佐野利器の「住宅とは!」の根本を考えさせられます。

住宅論/紫烟荘図集/住宅双鐘居 (叢書・近代日本のデザイン) 建築家 佐野利器

4.まとめ

建築家 佐野利器は、日本の初期の近代建築を代表する建築家であり構造設計家です。特に、構造理論家として、地震における構造設計など世界で類を見ない最先端の目を持っていました。地震の多い日本という土地柄もあったと思います。デザインだけでなく、社会的な資産として残る建築には、構造が大事であるとして多くの研究成果を残しています。

注意説明 公共建築以外の場所の特定は行っていません。個人の所有物である住宅は、場所の特定をしないように配慮しております。ご了承くださいませ。

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